あの人のラーメン物語

作家・エッセイスト 嵐山光三郎

第4回 作家・エッセイスト 嵐山光三郎

ラーメンは魔物です。

批評家精神を目覚ますのがラーメンです。

「ラーメンというのはね、男が中学生の頃、初めての味に目覚めるものなんだよね」

嵐山さんはたちまち遠くを視る少年の眼になった。

「あそこの店は旨い、まずいと言い出すのがラーメンなんだ」

東京都下国立で育った。一ツ橋大学をはじめ学生の街で知られる文教地区だから、学生向きの食べもの屋も競うように多かった。

「オレは駅前のマルシン、いやオレはナントカ屋がいい、なんて、一人前の口調で大人をまねて批評する。何が旨い、旨くないと初めて意識するのはラーメンから。だって高級鮨店なんか行ったことないんだから批評家精神を発揮できるのはまずはなんといってもラーメン屋なんです。中学生でもツウになれる。その快感をずーっと引きずって大きくなってからもラーメン道一直線を走ってる男たち、スゴイよね。よその町まで行って行列に並んでみたり、さんざん飲んだあげく『やっぱり締めはラーメン』とかいってよせばいいのに屋台ですすってみたり。横からワケ知り顔の説教女が『カラダに悪いのに』なんて口を挟もうものなら余計に張り切っちゃって『餃子もう一皿』これが旨いんだ!何なんだろうね、この心理。あらゆる喰いものの中でラーメンほどクセになっちゃうもの無いんじゃないかな。理由なんか解明できない。魔物ですね、ラーメンは」

これまでに一番美味だったのは。

「通ってた桐朋学園中学では、部活のときにラーメンの出前を頼んでよかったの。夏休みにプールで泳いだ後、注文した出前のラーメンをみんなで食べる。たいてい伸びてるんだけど、これがウマイ。少しマズイのがウマイ。その店は今でも荻窪にありますよ。あの頃ウマイと感じたほどには今はウマクナイ。これがまた人生の変転流転でもの思う秋なんです」

長年にわたり深い愛を注いできた、と。

「ラーメンは安いものだから物語にもなりやすいのね。以前にテレビでやって大好評だったのが釧路ラーメンストーリー。北海道のラーメンてのは味噌ラーメンが一世を風靡して、今はカツオ出汁、鳥ガラと多様になってるけど釧路ラーメン屋台はとにかく評判だった。零下20度のヒューヒュー風の吹く中を股引20枚履いて屋台引いていくおじいちゃんがいるわけ。一人息子を男手ひとつで育てた、その息子が北海道警察に入ったのがひそかな自慢なのね。で、札幌から釧路に戻ってきて屋台取り締まる係になるの。親父は真面目一筋だから何の不都合もないんだけど、前よりも客が増えてきたのに気付く。息子の同僚たちが非番の晩に喰いに来てくれていたっていう人情話。泣けましたね。オレ試しに履いてみたんだから20枚。それでも寒かったよ釧路は。そんなときの一杯のラーメン。身にも心にも芯から沁みますよこれは」。

記事:滝 悦子

Profile
1942年東京生まれ。作家。平凡社の雑誌「太陽」編集長を経て独立。執筆活動 に入る。88年『素人丁記』により第4回講談社エッセイ賞受賞。2000年『芭 蕉の誘惑』により第9回JTB紀行文学大賞受賞。『文人悪食』『温泉旅行記』 『ローカル線温泉旅』『江戸前寿司 一(ピン)の一(ピン)の店を行く』など著 書多数。06年『悪党芭蕉』で第34回泉鏡花文学賞・第58回読売文学賞を受賞。 旅が好きで、一年の半分は国内外を旅行している。