あの人のラーメン物語

デザイナー コシノジュンコ

第6回 デザイナー コシノジュンコ

ラーメンって
   日本独特の発明よね

「ラーメンと聞いて反射的に思い出すのは博多の屋台。

私がトンコツラーメン食べてたら隣に坐った若い学生風の男性が『コシノさんですよね? ボクMr.JUNKOのパンツはいてるんですよ。サインしてください』ってイキナリズボン下げたの。強烈だったわ」

博多ではそれをノボセモンというんですが。いつ頃のお話ですか。

「20年くらい前になるかな、当時の福岡では画期的だったホテル・イルパラッツォがオープンした時。デザインに関わった内田繁(注1)の縁で招待されてパーティの後の2次会は『これが博多の観光ルートの決定版です』という説明で、長浜の屋台に案内されたの。 魚市場の近くでズラーッと何軒も屋台が並んでいるところ。

驚きましたね。あの活気。あの気分。

外国でもないのに、日本じゃない。

こんなのあったのぉ?って皆な大喜び」

すみません。その若いモンはどうなったんでしょうかね。

「ちょうどね、私たち一行の中に日比野克彦(注2)がいて、『ヨシッ書いてやる』って。最初はサインだけのつもりがどんどんとエスカレートしてきてね。パンツ一枚にドローイング、ここにもあそこにもって、最後は顔にまで絵を描いたのよ。そしたらその彼『決して洗いませんっ』真面目そのものの表情で言うから、また皆なで大笑い。楽しかったわぁ。

あんなハプニングは気取ったレストランでは起こりようがない。屋台で、しかもラーメンだから垣根を取っ払うのよね。食べ物ひとつで偉大な効果をもたらすからスゴイ。

それに私は大阪の岸和田生まれ、だんじり祭りの洗礼を受けて染まって育ったからニギヤカなのが好き。どこへ出かけてもその土地の陽気な部分にすぐに馴染んじゃうのよね」

人を招いて家でおもてなしが大好きだと本にも書いておられます。

「実は自分で作る時は、お料理には時間をかけないの。十代、二十代の頃からいつも家に人が集まる暮らしだからパパッと手早くできるものばかり。

今でもコシノ家でお客様の話題をさらうのは簡単、単純。たとえばクリームチーズをサイコロ状に切ったものに、かつお節とネギをのせて醤油をかけただけのもの。一見、豆腐にも見えるので『えっこれ何?』とガヤガヤ。我が家の隠し芸と呼んでます。

時間をかけなくても小さな楽しみを提供してくれるから、手抜き料理も捨てたもんじゃない。要はアイデアしだいですね。

ドミンゴさん(注3)をお招きした時は素材を十分に吟味した天ぷらひとすじだったけど、喜んで歌を3曲歌ってくださった。

シンプルなのも究極のおもてなし、かも。

私自身、美空ひばりさんのお宅で『どぉ?』ってすすめられたお茶漬けが忘れられないんだもの」

自由な感覚と遊び心が大切だと。

「その点ラーメンのテイストは優れてる。それこそ日本独特の発明よね。はじめはオリジナルで味わって、色んなものトッピングして、自分の口に合うように加減しながら口内調理して食べることができる。人気があるはずよね」

(注1)
内田繁(うちだ・しげる)
日本を代表するデザイナーとして商・住空間のデザインにとどまらず、家具、工業デザインから地域開発に至る幅広い活動を国内外で展開。代表作に六本木WAVE、山本耀司のブティック一連、科学万博つくば'85政府館、京都ホテルのロビー、福岡のホテル イル・パラッツォなどがある。

(注2)
日比野克彦(ひびの・かつひこ)
日本における現代アートの「顔」とも言える存在。東京芸術大学在学中に「段ボール」を用いた作品で注目を浴びる。国内外で個展・グループ展を多数開催する他、舞台美術、パブリックアートなど、多岐にわたる分野で活動中。近年は、各地でその地域の特性を生かしたワークショップを数多く開催している。

(注3)
プラシド・ドミンゴ
スペイン生まれの世界的なテノール歌手。指揮者、歌劇場芸術監督としても活動している。ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスと共に「3大テノール」としても広く知られる。

記事:滝 悦子

Profile
大阪生まれ。文化服装学院デザイン科卒業。在学中に装苑賞を受賞。78年パリコレクション初参加。85年北京、90年ニューヨーク(メトロポリタン美術館)、94年ハノイ、96年キューバなどでもショウを開催。2005年、中国歴史革命博物館(北京)においてデザイン展開催。06年、「イタリア連帯の星」カヴァリエーレ章受勲。08年ワシントンD.CでのJapan Festival(ケネディーセンター)にてショウとオープニングプロデュース。?オペラ(魔笛・蝶々夫人)やブロードウェイミュージカル(Pacific vertures)・マッスルミュージカルなどの舞台衣装からスポーツユニフォーム、インテリアデザインまで活動は幅広い。