ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.15 麺屋 武蔵

テレビのラーメン特集や、あちこちの雑誌、ラーメンのホームページなどに必ずと言っていいほど登場する注目のラーメン店、麺屋 武蔵。

この店のラーメンの特徴は”さんまの煮干“と羅臼昆布からとった上品な味わいのスープ。人が人を呼び、マスコミが人を集め、武蔵のラーメンを求める行列は、日に日に長く伸びている。

ラーメンって、それ程好きじゃないんです。昼ご飯で空腹を満たすために食べたことはあるけど『どこそこのラーメンを』と出かけた経験はないですね。好きなラーメンを強いて挙げろ、と言われれば『武蔵のらー麺』かな。だって、自分が一番おいしいと思うものを出しているから」

と武蔵の頭、山田雄さんは語る。

奈落の底で見いだしたラーメンという光明

その昔、山田さんはアパレル業界に身をおき、自社ブランドを仕立てて年商27億円を売る青年実業家だった。しかし、バブル期に経営の多角化に失敗、本業の成績も落ち込み倒産の危機に直面する。

2年余り残務整理に追われる辛苦をくぐり抜け、人生の逆転ホームランを賭けて飲食産業へと転職した。最初の店を青山(東京都港区)にオープンしたのは、平成8年5月のことだった。

「新事業を始めようと決意したとき、昔からの仲間が集まってくれたんです。何がいいかと思案中に、中の1人が『北海道で食べたさんまの煮干がおいしかった』と口にしたひと言がヒントになって、スープの味付けがひらめきました。うどん蕎麦は難しそうだし、ラーメンだったら何とかできるんじゃないかな、と安易な発想からラーメン屋が浮上したんです」。

そこだけ聞くと「ラーメン屋ってそんなに簡単にできるの?」と思われそうだが、あれだけの繁盛店がそうやすやすとつくれるわけがない。

山田さんは子供のころから母親の“いい材料を使って手間をかけてつくる料理”で育った。自らもダシをとるためにかつお節を削ったり、昆布を切ったりして手伝っていた。幼少期から培われた味覚と自然に身に付いた料理の基本、それが血肉となっていた。

お客さまに“けど”を言わせない店づくり

開店当初、武蔵のラーメンは原価が65パーセントを占めていた。店づくりや接客については「おいしかったけど店が汚い」とか「おいしかったけど接客がなっとらん」とか言われることのないように、自分の店は“けど”のない店にしようと心掛けてきた。それもこれも、かつて自分が抱いたラーメン屋に対する総合評価の低さを裏返す発想である。

山田さんの『武蔵』は小ぎれいで元気がいい。お客さまの表情を通して心情までちゃんとみている。「わざわざ来た甲斐がありました」、「おいしかったです。また来ます」そんな声に支えられて、スタッフの表情にますます活気が満ちてくる。

「こんなに並んでくださるのだから、もっと店舗を増やしたら?」そんな声も聞かれるが、頭にはもうこれ以上、同じスタイルの店を増やす意思はない。考えているのは武蔵プロデュースで、これまでとは全く違う味を提供する新しい店。

「人が育ったらの話だけど、武蔵ごとに、その店でなければ食べられない“らー麺”をつくっていきたい」

と構想を膨らます。

「店を出すとしたら自分で見て回れる範囲内で、新宿南口とか東口とか近いところに出しますよ」

と話す頭。恐るべし。近い将来『武蔵』の行列が、新宿駅を東へ西へと取り囲んでしまう日がやってくるかもしれない。



麺屋 武蔵
住所:東京都新宿区西新宿7-2-6
TEL:03-3363-4634
営業時間:11:30~15:30、16:30~21:30  日)11:00~21:00頃
※スープが無くなり次第終了。ほかに東京、青山店がある。

麺屋 武蔵

山田 雄さん

麺屋 武蔵
店主
山田 雄さん

昭和28年2月28日、東京都荒川区に生れる。子供のころは野球少年でプロ野球選手を夢見たことも。学校を出て、アパレル業界に就職。「青年実業家」とうたわれた時期もあったが、大きな挫折を経験し、40代に入って飲食業へ転業する。 『麺屋 武蔵』を開店したのは42歳になってから。