ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.18 ラーメン3銃士 大いに語る

7月5日(水)、福岡県甘木市でコンセプト・パラダイス主催の飲食店繁盛ゼミに3人のラーメン職人が招かれ、座談会が催されました。今回は、その内容を集約して紹介します。

この日は焼酎とビールを片手に話が盛り上がり、普段は無口でクールな支那そばやの佐野さんまで、饒舌な夜でした。

スープが大切? それとも麺が大事?

河原-「全国にラーメン屋さんが15万軒あるとも20万軒あるとも言われていますが、僕はラーメンスープの具材も、自分でつくってこそラーメン屋と言えると思うんです。初めにスープありき、そして、それに合うをつくっていく、そう思っています」

佐野-「オレは逆ね。スープも自分でつくってるけど、スープに関してはもう終わり。これからはの時代」

河原-「なるほど……。『支那そばや』さんも『一風堂』も新横浜ラーメン博物館に店が入ってるおかげで、佐野さんの仕事を厨房で見せてもらう機会があるけれど、佐野さんの仕事はキレイですね。いい加減なことは一切なし。材料もこだわって、原価率が相当高いでしょう?」

佐野-「45%くらいかけてます。スープでは6対4くらいの比率でに注意を払いますね。これからのラーメン屋はを工夫しないと、スープではもう競えないと思う」。

ラーメンは“どまぐれ文化”

香月-「僕はラーメンはまだまだ何でもアリだと思う。強いて言わせてもらうならラーメンは“どまぐれ文化”、音楽に例えるとジャズ。これが蕎麦うどんだとクラシックになってしまうから、自由な遊びが難しい。でも、400年、500年先に生き残るのは蕎麦とかうどんかもしれない。ラーメンはブームでいい気になってるけど、どうなるんでしょう?」

佐野-「50年先でもラーメンは大きく変化してますよ。ラーメンは歴史が浅いし、基礎がない。これから自分たちラーメン屋が、本気でラーメンの歴史をつくっていかないとね」

河原-「僕は海外に日本のラーメンを紹介したいと思ってるけど、そこに20年、30年先のラーメンの姿を見い出せるんじゃないかな。まずはアメリカ、中でもニューヨークだと感じますね。海外に出す以上、その国の食文化を考慮して、それなりの礼儀を払う必要があると思うよ」

佐野「自分の納得したものを出し続けて、お客さまに満足して受け入れられたらいいと思う。勉強しないガンコはイヤですね。ただのガンコ者にはなりたくないね」

佐野さんのラーメンはうまい

香月-「以前は九州のとんこつラーメンは関東の人たちに“クサイ”と敬遠されましたが、今や飛行機に乗って九州ラーメンを食べに来る時代。その礎を築きてくれたのが熊本の『桂花ラーメン』、ブームの火付け役が『なんでんかんでん』、最後にトドメをさしたのがTVチャンピオンで3連覇した『一風堂』の河原さんですよ」

河原-「ありがとうございます。でも、佐野さんが入っていたら俺、負けたかも……。佐野さんのラーメンはうまいですよ。皆さんも食べに行ってほしいですね。佐野さんがラーメン博物館で出しているラーメンの話を聞かせてください」

佐野-「北海道のスーパーハルユタカという小麦粉パスタに使うデュラム粉を使って、モンゴルかんすいをつくります。スープ豚骨げんこつ)と鶏ガラ、海産物の和風スープをトリプルで仕上げます。丸鶏1つにしても鳥骨鶏名古屋コーチンベニバナ・タンイ鶏など鶏のブレンドにも気を配って、味に奥行きを出しますね。食材さがしは韓国へも行きましたし、自分で1つ1つ確認しないと納得できないんです。10月からは、日本でまだ誰もやってないラーメンをつくります」

河原-「佐野さん、よくこんな緻密な仕事をするな、と頭が下がりますよ。ラーメン屋さんも淘汰の時代に入ってきているから、気楽に入ってきてもすぐつぶれますね。簡単な業界じゃなくなりますよ。レベルが上がっておいしいラーメン屋さんが増えていくのは嬉しいですね。それにしても佐野さん、コック歴が18年もあるのに何でラーメン屋さんになったの?」

佐野-「15年前独立するとき、自己資金が100万円しかなかったんですよ。元手があまりなくてもやれる飲食、と考えてラーメンになりました。業界のこともラーメンのつくり方も、何もわからずに入ってきました。1つ1つ自分で突き詰めて……。をつくり始めたのは8年前からです。まだまだ、これからですよ」。

ラーメン仲間づくり

香月-「僕は河原さんに逢って、とても刺激を受けました。自分は生れたときからラーメン屋の息子で、25歳まで恥ずかしいというコンプレックスがありましたから。大名の『一風堂(本店の前身)』に初めて行ったとき、目からウロコ状態。店のつくりもBGMも、ラーメンそのものも、見るもの全てが刺激的で背筋に電流が走りました。クリエイティブをやるのは芸術家だけじゃないんだ。“ラーメン屋ってカッコいい”と初めて思えた。それを教えてくれたのは河原さん。そのおかげで僕はラーメン屋に誇りが持てるようになった」

河原-「そう言ってくれるとうれしいね」

香月-「平成3年につくった合川(久留米市)の『大砲ラーメン』は『一風堂』の影響が大です。そこに河原さんが、店を見せてくださいと訊ねてきてくれて……。長年、久留米のラーメン業界に浸かってきた僕には、ラーメン屋同士が名刺交換できる、握手を交わせる、そんなこと信じられなかったですね」

河原-「いがみ合っても仕方がない」

香月-「佐野さんにしても、秘伝の裏技も関係なしに、ラーメンのことを訊ねると紙にサラサラとレシピを書いてくれる。友達としてつき合ってくれてるんだけど、2人とも器が大きいなと感じます。僕はこれから、ラーメン業界がもっとオープンに仲間としてつき合っていけるようになれたらいいなと思う。そういうラーメン業界にしていきたいね」

河原-「本当ですね。15万軒のラーメン屋さんのうち、この3人以外にも、仲間はたくさんいるし、これからもっと増えていくよ。夢のあるいい業界にしていきたいですね」。

支那そばや本店
有限会社サノフード
代表取締役
佐野 実さん

昭和26年4月4日、神奈川県生まれ。ラーメン屋を始めたのは35歳から。18人の弟子がそれぞれに店を構えている。支那そばや本店は現在閉店中。現在、新横浜ラーメン博物館に出店中。

■本店所在地
住所:神奈川県藤沢市鵠沼海岸7-5-37
TEL:0466-34-7776


大砲ラーメン
株式会社大砲
代表取締役
香月 均さん

昭和33年3月27日、福岡県久留米市生まれ。昭和28年、故・香月昇氏(父)が創業した大砲ラーメンを引き継ぎ、平成元年社長就任。現在7店舗を運営。久留米市の街の活性化とラーメン業界の仲間づくりを精力的に進める。

■本店所在地
住所:福岡県久留米市通外町11-8
TEL:0942-33-6695


博多 一風堂
株式会社力の源カンパニー
代表取締役
河原 成美さん

昭和27年12月18日、福岡県城島町生まれ。26歳でレストランバー『AFTER THE RAIN』をオープンする。32歳で『博多 一風堂』を始め、現在は15店舗の一風堂と飲食店5軒を経営。『TVチャンピオン』のラーメンチャンピオンでは3連覇を達成した。

■本店所在地
住所:福岡市中央区大名1-13-14
TEL:092-771-0880