ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.20 元祖一条流 がんこ総本家

のれんも看板もなければ、ちょうちんも灯さない。真っ黒なシートで外装を囲み、牛の骨1本ぶら下げただけのヘンテコな入り口。知らない人にはワケがわからない、取材拒否で有名な『がんこ総本家』一条安雪さんの店。

牛骨と醤油をベースに煮干昆布鶏ガラ豚ガラなどでダシをとったスープは、現代人向きに一条さんが開発したもの。この味に病みつきになって何度も通うお客さまが、今日も今日とて30人、40人と並んでいる。

昭和57~58年、東京で店を始めた頃は、ことごとく自分のラーメンが拒絶された。家族や親友は「うまい」と絶賛してくれる味だったから、この人たちはこの味が理解できないんだ、とお客さまを疑った。丼に残るスープ……それが1ヵ月も2ヵ月も続けば、悔しくてもラーメンに問題があると認めざるを得ない。

「つくり手本位の研ぎすまされた味覚は一般に通用しないと思い知らされ、だったら、人が旨いと感じるものをつくってやろうじゃないかと挑むような気持ちでした。居酒屋に何度も足を運んで嗜好を分析し、焼肉屋さんのスープをヒントに牛スジスープで、若い人好みの軽い口あたりにまとめました」

と一条さん。それが『がんこラーメン』の始まりである。

すると、今度はその味が評判になり大忙し。客が客を呼び、休む間もなくラーメンをつくる日々。

会員制にした本当の理由

「お客さまが引かなくて疲れてしまい、2ヶ月ほど休んだんです。店には再開を望む張り紙や連判状と、罵倒する落書きでいっぱいでした。お客さまの一途な想いは、店の歴史をうんぬんじゃないな、と思いました。同時に、そんなお客さまを裏切れない、そう思いましたね」

それが、店から看板やちょうちんを外して会員制にした理由だという。「営業してます」の目印は“牛骨”を店前にぶら下げているだけ。わかる人にはわかるから、それでお客さまが並ぶ。

奇をてらったわけでもなければ、忍んでいるわけでもない。マスコミを遠ざけるのも、興味本位の観光気分で1度きりのお客に翻弄されて、常連さんに迷惑をかけるのが申し訳ないと思うから。

ラーメンとは? 大好きな食べ物です

何がお客さまのためなのか、誠実の度合いを何で計るのか、尺度も価値観もラーメン屋ごとに違うのは当たり前。一条安雪の『がんこラーメン』は、スープの出来が悪ければ店を閉めるのを流儀とする。わざわざ遠くから来てくださる方をがっかりさせられない。知人に食べさせたいと人を伴って来てくださる方の面子を潰すようなラーメンを出すわけにはいかない。納得いくものを出せない日、店を開けないのは至極当然なことだと考えている。

そんな一条さんの人柄や味に惚れ込んで、ラーメンを教えてほしいとやってきた弟子が日本各地に20人近く店を開いている。「あなたにとって、ラーメンとは?」と問えば「おいしい食べ物です。大好きな食べ物です」と純朴に答える。そして

「精魂込めてとか、魂込めて、なんて言葉は、仏師が使うに値するような仏像を彫れたとき、一生に2度か3度くらい使っていい言葉。日々の営みでラーメンをつくる人間が、軽々しくそんな言葉を使うな。大袈裟なことを言わず、初心を忘れずにやっていけ、と弟子たちにも話します」

と付け加えた。

ラーメンが好きなように、酒も煙草も嗜む一条さん。

「いつまでも現役で店に立ちたい。でも、仕事と好きなことの狭間でやっているからには、計算が入る。先々、いい歳を迎えたら、商いを離れて思いきりやれる道楽のような店をしてみたい」

そんな気持ちも持っている。第4金曜日の午後3時からしか出さない『悪魔ラーメン』は、その現われか? 初めてでは理解できない未到の味。悪魔の味をおぼえ、悪魔に魂を売った悪魔狂いの客たちが、次もまた寒空の下、列をなすのであろう……。



元祖一条流 がんこ総本家
住所:東京都新宿区西早稲田3-15-7
TEL:非公開
営業時間:12:00~13:30、17:00~21:00
定休日:不定休

一条 安雪さん

元祖一条流
がんこ総本家
家元
一条 安雪さん
ICHIJO YASUYUKI

昭和22年2月5日、宮崎県生まれ。東京の下町育ち。子供の頃は器械体操が好きで、オリンピックに出たいとまで思っていた。18歳でラーメンをつくるようになり、他の職業を経験するが、札幌で屋台のラーメン屋を経て、東京にラーメン店を開店する。『がんこラーメン』からのれん分けした弟子の店は17軒。