小田急江ノ島線高座渋谷駅下車~徒歩約5分。都心からはなれたところにありながら、ラーメン界に旋風を巻き起こした若きラーメン職人の店。ラーメンづくりの基礎はアメリカ留学中に身に付け、帰国後に独学で店を開いた。
店の随所に店主の個性の家族の深い愛情が感じられる。
帰国子女の店主が22歳で始めたラーメン店は、一見すると昭和のまん中あたりに、どこかで見かけた日本蕎麦屋か甘味処のような店構え。店内には『中村屋』の真鍮看板がうやうやしく飾られ、白黒テレビが現代映像を映し出している。
こんな光景を昭和50年代生れの店主が経験したとは思えない。よろず屋『中村屋』を営んでいた祖父が大好きで「もう1度、おじいちゃんの看板を輝かせてあげたい」と思ったという。
ねずみ色の壁やあずき色に光る木のカウンター、中国の線画のような丼、店に置いた骨董品の数々は祖父の感覚を引き継いでいるのだろうか。海外で暮らす日本人が日本を恋しく思い、日本の食べ物や道具を身近に置きたいと考えるその感覚を、中村君もまた留学中に知らず知らずのうちに身につけたのかもしれない。
「どうしたら好きなサーフィンをずっとやっていられるか考えたとき、最良の方法がアメリカに留学することだと思ったんです。4年間日本を離れていたから、日本の食べ物が恋しくなるんですよ。それで、ラーメンにしても他の日本食にしても、ネットで検索して材料を揃え、手間ヒマかけて楽しみながらつくっていました」
と中村君。アメリカでは家庭で使う鍋が寸胴サイズ、鶏は丸ごと、牛肉や豚肉は塊で並んでいるから、日本の飲食店の仕込みに等しい状態。カレーやラーメンなどスープ系の煮込み料理が得意で、母親がやっていたように牛スジや丸鶏でとったスープストックを常備し、カップ麺にはお湯代わりに注いで堪能していた。
自宅のプレハブ小屋で研究に没頭
4年で大学を終え、そのままアメリカに残ってもよかったのかもしれない。しかし、日本にいる恋人との将来を思うと
「帰国して手に職をつけ彼女を伴いアメリカに戻ってきたほうが、安定した生活がおくれるはず」
と考えた。小学校の頃からの幼馴染、日本にいるときから振られてもフラレても、何度も再起して想いを伝え続けた女性である(奥様にしてみると振った意識はなく、もてる中村さんにからかわれているとしか思わなかったらしい)。彼女との将来を夢見て「起業するなら日本で」と彼が選んだのはラーメンだった。
「飲食をやりたいと考えていました。自宅のプレハブ小屋に業務用コンロや寸胴を持ち込んで、セミプロみたいなことを始め、たまたま行き着いたところがラーメンだったんです」
好きなことに熱中する性格、何事も自分の手足と目で確認しないと納得しない性格、それが『中村屋』のいまを築いている。
化学調味料を一切使わず、豚骨と鶏ガラをベースに昆布、サバ節、カツオ節、煮干し、干し椎茸、昆布類などでとるスープ。コシのある細麺は『しおらーめん』、『しょうゆらーめん』、どちらにも合う。
若き起業家が独学でつくったラーメンには、日本もアメリカもなく、老いも若きも、男も女も、やさしく包み込む。バランスの整ったじんわりと滲みてくる味。ローストビーフをイメージしたチャーシューがさっぱり系のスープに力強さを醸し出す。
誰の真似でもなく、自分の味を追い求める日々。これからどんなラーメンに変化していくのか、どんな表情をしてくれるのか、大変なことなど顔に出さないキラめく笑顔のパワー。短いスパンでずんずん進んでいく中村君、気になる存在である。
住所:神奈川県大和市下和田1207
TEL:046-279-3877
営業時間:11:30~15:00、17:00~21:00
(共にスープ終了次第営業終了)
定休日:水曜
麺処 中村屋
中村 栄利さん
NAKAMURA SHIGETOSHI
昭和55年、神奈川県厚木市に生れる。平成7年、アメリカの大学に留学し、勉強の傍らサーフィンやラーメンづくりを楽しむ。平成11年に帰国し、独学でラーメン店『中村屋』を開店し、着実にお客さまを増やしている。
9月初めに『ZUND-BAR』を神奈川県厚木市七沢にオープンする。
* 中村栄利さん(右)と河原成美のラーメン対談が角川書店から10月中旬頃発売の『うまかラーメン115軒』に掲載されます。