ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.28 柳麺 ちゃぶ屋

誰が名付けたか「ラーメン界のイチロー」の愛称でテレビ画面に登場したその人は、予選~決戦と勝ち進んで厳寒の北海道で『テレビチャンピオン ラーメン職人選手権』のタイトルを獲得した。そして、見事4人目のラーメンチャンピオンとなる。ちゃぶ屋・森住康二さん、35歳。初めて訪れた博多でも、やっぱり熱い眼で「製麺機」に見とれながら、自らの生きてきた道のりを聞かせてくれた。

「小学生の頃ね、チャルメラの音を聞いて夜中に兄と2人でラーメンを食べに行ったんですよ。ボコボコとお湯の湧くあの光景が僕のラーメンの原風景。男が何かをつくる姿はカッコいい。そう思って高校に行くより、調理技術の習得を選びました。16、7の若造だったから何もできなくてね……」

先輩たちに「お前は、ちゃぶ屋やな」と酷評された森住さん。『ちゃぶ屋』には「使い物にならない・何もできない・どうしようもない」などの意味がある。悔しさを噛み締めるように「将来店を持つときは絶対この名前を付けてやる」と自分を励ましながら、青春時代を洋食修行に費やした。

コック歴10年を経て荒川区に始めて店を出したのは、6年前の6月。屋号はもちろん『ちゃぶ屋』。なけなしの300万円を元手に始めた。オープン初日は5人しかお客さまが入らなかった。宣伝どころか「失敗したらみっともない」と友人知人への声かけすらしなかったのである。

「開店資金がやっとで、初日に食券機に入れる釣銭がないほど資金繰りに苦労しました。朝11時から翌朝5時まで開けて、お客さまが10人に満たない日が半月ぐらい続いたでしょうか。不安でした。だけど、1晩寝るとラーメンのことしか頭になくなるんです。どうしたらいいがつくれるか。スープがおいしくなるか、いつもそんなことばかり考えています」

昨年6月末には店を現在地・護国寺に移転。「製麺機を置いて自分でをつくりたかった」というのが理由。開店から1年もせず、店内にも外にも順番を待つお客さまが溢れる繁盛店に。味もさることながら研究熱心な姿勢をマスコミ等によく取り上げられている。

小麦粉をテーマに世界を目指したい

ちゃぶ屋の『らぁめん』の特徴はにある。ガラス貼りの製麺室を店に併設し、念願の製麺機を導入。宝物のようにピカピカに磨き上げた製麺機をつくるのが森住さんの至福の時間。

毎日、開店前に翌日分のを打つ。麺線が長い幅2ミリほどの平打ち麺とんこつ醤油味のスープに太もやしのシャキシャキ感と炒めたエシャロットが風味を添える。のにおいが鼻をくすぐる『味噌らぁめん』にもファンが多い。日一日と旨味を増し、着実に業績を伸ばしながらも

「常に危機感を伴っています。気を抜いたら、すぐまたお客さまは5人にもどってしまう」

と真面目に厨房に向かう。店には老若男女を問わず、連日たくさんのお客さまが訪れる。

ラーメンを通していろんな人に会えるのが何より嬉しい。ラーメンと決めて始めたからには、一生涯ラーメンを貫きます。いずれは工場もつくりたいし、小麦粉をテーマに世界に討って出る夢も実現させたい。そのために『CHABUYA JAPAN』も伸ばしていきます」

と未来の青写真を描く。「お前は、ちゃぶ屋やな」、あの中傷が彼をここまで導いた。これから10年、20年たったとき、彼と仲間たちの功績は『ちゃぶ屋』の意味さえ塗り替えてしまうかもしれない。「ちゃぶ屋は誠実な頑張り屋を指す褒め言葉」、森住さんの話を聞いていると無性にそんな気がするのである。



柳麺 ちゃぶ屋
住所:文京区音羽1-17-16 中銀音羽マンション1F
TEL:03-3945-3791
営業時間:11:00~15:00、18:00~23:00
定休日:日曜日

森住 康二さん

柳麺 ちゃぶ屋 本店
森住 康二さん
MORIZUMI YASUJI

昭和42年2月8日、東京都板橋区生まれ。中学を卒業後、専門学校に進み洋食のコックとして10年厨房に立つ。29歳で独立し、平成8年6月荒川区新三河島に『ちゃぶ屋』を開店。昨年6月に現在地に移転した。第4代目ラーメン職人チャンピオン