ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.30 自称「日本一ラーメンを食べた男」

「1億総ラーメン評論家、と言われるほどに日本人は誰もがラーメン好き」「私はこれまで約8,000杯のラーメンを食べました」「ラーメンの面白さは海のように奥深く、空のように幅広い」~ラーメンを語らせたら、間違いなく5本指に入るラーメンを食べる側の大御所・大崎裕史さんに、そのラーメンライフについて訊ねてみた。

――大崎さんは本業の傍らいくつものラーメンサイトの運営や執筆、メディアへの登場などされているとお聞きしていますが・・・・?

大 広告代理店勤務があくまで本業です。最近は少しずつラーメン関係のことを仕事の枠に取り入れようとしています。

――もともとは、どんな子どもだったのですか?

大 会津生まれ会津育ち、3人兄弟の末っ子です。生れた町は『喜多方ラーメン』の隣町です。物心つく頃から小遣いでラーメンを食べに行ったり、出前を頼んだり、意識せずともラーメンを食べていました。将来は「科学者になりたい」と考えるような子どもでした。

――どういうキッカケでラーメンにのめり込んでいったのですか?

大 大学に入るために上京に、初めて細麺や白いスープ、カタ茹でのなどを知り「こんなラーメンもあるのか!?」と感激しました。そして、ほかのラーメンももっともっと食べてみたいと興味を覚え、没頭するようになりました。記録を取り始めたのは1995年から。それまでの30年間を少なく見積って3日に1杯のラーメンを食べたと仮定して3,000杯。加えて実データ5,800杯で計8,800杯。人に言わせると「収集欲があり、データベース化するのが好き」なんですね。

――8,800杯! なぜ、そこまでラーメンに惹かれるのでしょう?

大 例えば登山家や冒険家に近い感覚だと思うんです。そこに未知のラーメン屋さんがあれば、自分で行って確かめてみたい。ラーメンの面白さは海のように奥深く、空のように幅広い。1日に3杯ずつ食べたとしても追い付かない。一生食べても全てのラーメンを食べ尽くすことは不可能。ラーメンは「終わりなき旅」なんです。それに「浮気性」が合わさって、おいしいと思う店に辿り着いても、それ以外にもっとおいしい店はないものか、とさすらうわけです。

――思い出深いラーメンエピソードをお聞かせください。

大 同じ店で連食する流れをつくったのは私かもしれません。文京区の『神無備』さんで最初に醤油ラーメンを食べ、そのうまさに惹かれ、トンコツを注文。またもや、その味に感激のあまり、遂には店名を冠した『神無備ラーメン』を続けて杏仁豆腐マンゴープリン、占めて2,700円を支払いました。ラーメン屋さんで1,000円札3枚出すことは類稀なる経験でしたね(笑)。

――大崎さんにとって「うまい」の基準は何ですか?

大 最近は情報誌やインターネットで、ラーメンの情報は簡単に入手できます。出かける前に好みに合わせ情報を収集し、選りすぐった店で食べるのがいいでしょう。無理せず休憩しながらね。ちなみに私の場合「地方に行ったら1日8軒でモトをとる」感覚で廻っています。満腹でも、本当においしいラーメンはスルスル入るから不思議です。

――ラーメン屋さんとラーメンファンへ何かメッセージを・・・・

大 日々どんどん新しい味を研究してください。私も含めて、ラーメンファンは「おいしいラーメン」に期待しています。つくる側も食べる側も「楽しいラーメンライフ」を送りましょう。

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ラーメンデータバンク
事務部責任者
大崎 裕史さん
HIROSHI OOSAKI

1959 年、福島県会津生まれ。大学卒業後。広告代理店に入社し、現在に至る。1995年、サイト『東京のラーメン屋さん』を、翌年には全国のラーメン検索サイト 『Ramen Bank』を立ち上げ、全国のラーメン店の食べ歩きを本格化。2002年8月現在、推定4,500軒8,800杯のラーメンを胃袋に納めたラーメン好き。
連絡先/株式会社飛竜企画