ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.45 うま馬

博多に初のラーメン屋台が登場したのは昭和16年のこと。今はなき幻の百貨店『玉屋』の川っぷち『三馬路』の名で、澄まし仕立てのとんこつラーメンを出していた。そこから独立し『五馬路』屋台を始めたのが、今回の手嶋雅彦さんの祖父にあたる人物。父・武臣さんは昭和29年頃より店に立つようになったという。平成8年、雅彦さんへの世代交代を機に『五馬路』から『うま馬』へと名を新たにした。

祇園、冷泉、大名と福岡に3軒、そして東京駅構内に1軒の『うま馬』を経営する手嶋雅彦さんは、博多のラーメン創世記を築き上げた手嶋武臣さんと早苗さんの長男にあたる。

子供の頃は、ラーメン屋を継ぐなど思いもよらず、また両親もそんなことは考えもしなかったという。店に入るのは小遣いが貧しくなった時。厨房で麺あげをし、酒のツマミをつくって売り上げた中から、時給分の小遣いをもらっていたのだとか。

大学時代は演劇部に所属し、役者を志願して上京する。劇団『青年座』にて活動の傍ら、飲食業のアルバイトをしていた経験が、後に『うま馬』の経営に功を奏すことになる。

「35歳まで自分は東京にいました。母が病気をしたから店を辞めると言い出して……。僕は祇園にあった『五馬路』の2階で育った(現・『うま馬祇園店』)から、自分の原風景がすべて無くなってしまうのかと思うと、居ても立ってもいられなくなって帰郷しました」

青春時代の小遣い稼ぎ体験のおかげで、戻ってすぐからラーメンをつくれたし、ご両親は、継いでくれるなら名前も残したいと願わなかったのだろうか?

「せっかくだから、この辺で名前を変えようと言ったのは父なんですよ。『五馬路』は父、『うま馬』はお袋が名付け親です。ラーメン屋台でおでんや焼き鳥を食べて1杯飲むことは、博多では珍しくないことですが、東京にあっては斬新なスタイルのようで、昨年10月にオープンした東京店は、おかげさまでたいそう賑わっています」

ラーメンダイニングの先駆者

うま馬』では全店に焼き鳥や酒の肴、各種アルコール類が、屋台の何倍も揃えられている。ことワインに至っては、ソムリエの資格まで究めたという手嶋さん。資格取得は博多に戻ってからのことである。

「僕にとってのラーメンは稼業ではなく、幼少期より見て育った、お客さまとのコミュニケーションツールなんです。両親がお店のお客さんと親しく言葉を交わし『そろそろ帰る』の合図がラーメンでした。だからラーメン屋としてラーメン1本に絞った店を確立するのではなく、居酒屋のような雰囲気の店が、うまいラーメンを出す『ラーメン居酒屋』のスタイルを、今風に展開しているだけのことなんです。父はラーメンダイニングの先駆者ですね」

激しい気性で、すぐ手が出ることで知れ渡っていた父親は、病を無事に克服し、今では麺工場にて日々製麺を受け持ってくれている。

うま馬』のラーメンはベースはそのままに、基ダシスープの取り方に少しずつ変化を加えている。茹で上がりの早い白く平べったいは、三馬路時代から今に引き継がれたもの。あっさりヘルシースープに、身のしまったチャーシュー、たっぷりの青ネギ。小腹を空かせて食べるラーメンではなく、適度にお酒が入って、締めに心地よくいただくラーメンだ。

「つくづく商売って難しいなと思います。同時に、面白みも感じます。東京に出店したことで、その距離感をもってこれからの新展開を図っているのですが、お そらく5軒目、6軒目は福岡ではない土地に出店するでしょう。両親が築いてくれた味とスタイルをどこまで伸ばせるか、劇団での経験もしっかり役立てて頑 張っていきますよ」

と、抱負を聞かせてくれた。いろんな親孝行の形がある。両親共に健在なうちに家業を事業へと転換し、未来への希望を抱かせてくれる手嶋さん。決して「継いでくれ」とは言わなかったご両親も、孝行者の息子を誇りに思い、喜んでおられるに違いない



うま馬
住所:福岡市博多区冷泉町9-19
TEL:092-283-1015
定休日:なし
営業時間:17:30~24:00、日祝は~23:30

手嶋 雅彦さん

うま馬
社長
手嶋 雅彦さん
TESHIMA MASAHIKO

1958年、博多生まれ。冷泉小、博多二中、西南高~西南大学中退。俳優を志し、上京。 35歳まで『青年座』で活動をし続けるも、母の病により帰郷し、家業のラーメン店を継ぐ。『五馬路』を『うま馬』と改め9年。今では福岡市内に3軒、東京に1軒を展開。ソムリエの有資格者。