ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.54 黒亭

来年春に創業50周年を迎えるという黒亭は、今年の6月1日に、前の店の真向かいに移転オープンした。店名にふさわしく黒と木目を基調にした明るく清々しい店内。揚げニンニクの香ばしいにおいが立ちこめ、"いつものラーメン"に舌鼓を打つ客人たちが、満足気にラーメンをすすっていた。


この店のオープンは昭和32年。駆け出しの画家・平林武良さんと絹子さん夫婦が、結婚して8年目に開いたラーメン店だ。絹子さんは

「熊本の『こむらさき』さんにラーメンのつくり方を一から指導していただきました。今でも私たちの恩人だと思っています」

と述懐する。と言うのも画家の海老原喜之助氏の絵のファンであった『こむらさき』店主の山中さんが、若い平林夫妻の生活を考えて、ラーメン店を開くことを勧めてくれたのだ。開店したばかりの『黒亭』に、『こむらさき』からラーメン職人を派遣し、指導してくれたのだという。

夫妻で始めたラーメン店だったが、実際に店に入るのは絹子さん。画家である夫を支えながら、娘2人を育てるために『黒亭』の屋台骨を支えた。

アトリエで絵を描く夫は絹子さんの誇りで、心の支えでもあった。しかし、その暮らしは昭和45年、武良さんの死をもって終わる。絵の勉強のためにパリへ旅立つことになり、その前に「大好きな天草の海を見たい」と出かけ、潜ったままアクアラング(スキューバダイビング)中に帰らぬ人となる。

絹子さんの悲しみは計り知れない。齢42だった。現在は、亡き夫の描いた油絵15点ほどが手元に残っている。

「娘を大学まで出してやりたい、その一身で店を続けました。背水の陣に立ち、ほかに生きる手だてがなかったから」

絹子さん。

「だけど辛いことばかりではなかったんですよ。仕事を終えると、映画や管弦楽のコンサートに行ったり飲みに行ったりして、自分の楽しみも経験できましたから」

絹子さんは2年前に入院するまで店に立っていた。29歳から76歳まで半世紀近くラーメン屋ひと筋に生きてきた。孫に代替わりした今日でも、体調を気遣いながらも毎日店に顔を出し、とんこつスープの味をみる。

「店とおばあちゃんより大切なものはなかった」

インターネットの書き込みで絶賛されていた『もやしラーメン』を注文した。運ばれたから熊本ラーメンらしいニンニクを揚げた香ばしいにおい。

もも肉チャーシュー3枚、たっぷりのモヤシキクラゲ海苔、小ネギが乗り、トッピングをかき分け麺をすする。中太の丸麺は食事としても充分な量だ。とんこつスープに浮かぶ茶褐色の粒ツブ(フライドガーリック)が旨味を増幅する。

絹子さんに代わり、2年前から店長として『黒亭』を守る孫の奈都美さんにも話を聞いた。

「おばあちゃんが倒れた時、このままでは店がなくなると思い、姉と相談。2人だったらやれるよねと確認し合って帰郷しました。私は福岡で、姉は熊本で仕事をしていたけれど、小さい頃から食べていた黒亭ラーメンが食べられなくなる。悲しむお客さんもいるだろうなと思うと、店とおばあちゃんより大切なものは思い浮かばなかったですね」

主に経理面を担当している姉の京子さんはこの春、女の子を出産し、ひ孫の顔を見るのも絹子さんの楽しみのひとつとなっている。奈都美さんいわく

「母が離婚して、私たち姉妹もおばあちゃんに育てられたようなもの。仕送りをして大学にも行かせてもらい感謝しています。店長とは言ってもわからないこと だらけ。何かあれば相談するのはおばあちゃんで、頼りにしています。1日でも長く生きて、いつまでも店に顔を見せてほしいと思っています」

一般に「親の背中を見て子は育つ」と言うが、小柄な祖母の背中を見て育った孫は、迷うことなく自分に生きる道をラーメンに見出した。新築したばかりの歴史のある店で、とんこつラーメンと汗と油絵が、うら若き26歳の娘を支えている。

心臓や肝臓の病を抱える絹子さんだが、病院通いはしていても

「1日1本の缶ビールを飲むのが楽しみです」

とにこやかに話してくれた。昭和32年(1957年)創業の『黒亭』は、来春50周年を迎える。



熊本ラーメン専門店 黒亭
住所:熊本市二本木2-1-23
TEL:096-352-1648
定休日:木曜
営業時間:10:30~20:30

平林 絹子さん、平林 奈都美さん

熊本ラーメン専門店
黒亭

創業者
平林 絹子さん
HIRABAYASHI KINUKO
1927年、人吉市に生まれる。1949年に画家の平林武良さんと結婚し、8年後に夫婦でラーメン屋『黒亭』を開業。夫が45歳で他界して以降、店を切り盛りし、一昨年引退。


店長
平林 奈都美さん
HIRABAYASHI NATSUMI
1980年、熊本市生まれ、西南大学卒業後、福岡市内のブライダルサロンに就職。祖母に代わり店を継ぐことを決意し24歳で帰郷、店長となる。