ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.58 なんつッ亭

頭に白いタオルはち巻、濃い髭を生やした眼つき鋭いラーメン店主・・・、見るからにコワそうで、でも面白いことを言って人を笑わせる。「うまいぜ ベイビー」、テレビに登場する『なんつッ亭』の古谷一郎さんは、本当はどんな人なのだろう?博多訪問中の古谷さんに会った。

「自分が生まれ育ったのは神奈川県の外れ、秦野という田舎町。盆地根性丸出しで気軽に人を寄せ付けないような土地柄でした。両親は小さな食堂を経営していました。自分はデキのいい姉としょっちゅう比べられるのがイヤで、ラクして目立つには、と考えて暴走族になりました」。

あっけらかんと話す古谷さん、39歳になる。

ラーメン屋を志すまでは、酒と喧嘩とカラオケと・・・パチプロになることを考えたりしながら、汗水たらさない生活を送っていた。

27歳、一念発起の引き金は某テレビ番組でのラーメン紹介。「ラーメンは気合いと根性!」あるラーメン店主の言葉にKOされ、そのフレーズが脳裏に焼き付く。

元よりラーメン好きだったこともあり、「ラーメン屋だったら俺でもやれる。ボロい店でも味さえ良ければお客さんは来てくれる」と立ち上がった。何より「今の生活を変えたい、自分自身を変えたい」と思ったのだ。

「どうすればラーメン屋になれるか?」「それには、どこかの店で修業しなければ!」そう考えた古谷さんは、当時ブームと騒がれていた「とんこつラーメンの本場・九州」へラーメン食べ歩きの旅に出る。

「現地に行けば、もっと隠れた味が発見できるのでは?」「そこで修業すれば、行列ができるおいしい店をつくれるはずだ」様々な思いを抱き、観光ガイドブック片手に「俺流の新しい方向性」を見つけるため、軽自動車で博多~熊本~鹿児島を南下した。

その途中、人吉で運命のラーメンに出会う。黒い油が浮いた個性の強いとんこつラーメン。初めてのマー油体験は大きな衝撃だった。

「修業先はここだ」と決意を固め、連日その店に通い、親父さんに直談判。しかしすぐには認めてもらえない。生活のため酒屋でアルバイトをしながら、客として何日も食べに通い、ようやく休日に店を手伝うことを許された。

それからは「早く一人前になろう」と見様見真似でがんばった。汗と魂、気合いと根性、目には見えない、レシピにできない精神論が、ようやく肌でわかり始めた古谷さん、1年を待たずに人吉を後にした。

ラーメン屋は、まるで人生そのものだ

「絶対に流行る店にする」意欲に燃えて帰郷し、実家の近くに借りた居抜き物件を改装して目出たく開店までこぎ着けた。

最初の材料費3日分を父が「開店祝に」と出してくれ、親戚や友人たちが大勢お祝いに駆けつけてくれた。しかし、それも開店景気にすぎず、店はたちまちジリ貧に。

ラーメンは思っていたほど簡単ではない。それを教えてくれたのは途絶えた客足だった。そこから本当の修業の日々が始まった。「俺流のラーメン」は汗と涙と経験、ラーメンを食べたお客さんの表情から、徐々に骨格ができていった。

「大将、ラーメン1杯!」「おいしかったよ」「また来るね」、耳に届く嬉しい言葉が励みとなり、客足はその頃から伸び始め、営業時間を延長するまでに。共に汗するスタッフに恵まれ、とにかく働いた。ビール片手に夜中まで、とんこつスープの見張り番。

「手は腱しょう炎になり、肘は上がらない。痛みと疲れが首にきて、その状態になってようやく俺もラーメン屋の仲間入りができたと思った」。

最初の店は15席で日に300杯ほど売上げた。6年後、移転と同時に製麺機も据え、27席で日に500杯以上を売るようになる。

マー油が黒々とかかる濃厚クリーミーなとんこつラーメンは、好きか嫌いか、好みがはっきりする。気に入ってくれた方は何度も通ってくださり、マスコミで取り上げられたことも幸いして店は品川、川崎と3軒に増えた。

「とにかく自分にはラーメン屋しかできなかった。死ぬ気で働いてやろうと心に誓った。ラーメン屋は地味な仕事で、いいことと同時に苦しいことだらけ。まるで人生そのものだ」と古谷さんは言う。

頭に白いタオルを巻いた髭ヅラの男たち、自分を大将と慕うスタッフを束ねるのもまた彼の仕事。「大将イズム」を期待するスタッフに「俺たちの店に俺たちイズムを築いていこう」と、月に1度の"下っ端会議"でスピリットを共有する。なんとカッコいい兄貴じゃないか。

「酒が好きで、女が好きで、だけど仕事は頑張る」。その開けっぴろげなところもまた、大将の魅力の1つだ。



なんつッ亭
住所:神奈川県秦野市松原町1-2
TEL:046387-8081
定休日:なし
営業時間:11:30~15:00、17:00~23:00

古谷 一郎さん

なんつッ亭
店主
古谷 一郎さん
FURUTANI ICHIRO

1968年、神奈川県秦野市生まれ。暴走族~謎の7年、酒屋アルバイト、おしかけラーメン修業の後、98年独立。現在は故郷・秦野、品川、川崎に店を構える。