ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.22 大文字

大手企業で出世コースをまっしぐらに走っていながら、自らの意志で脱サラし、妻と始めたラーメン店。オープンから13年の歳月が流れた『大文字』は、今ではすっかり成瀬の顔と認知されるまでに成長した。近隣には数軒のラーメン店ができ、ラーメンの注目スポットとなった成瀬。「同業の店が増えれば増えるほど、売り上げは上がる。そのために常にお客様に喜ばれる商品を創意工夫して出し続けなければならない」と説くご主人・中村紘さんを訪ねた。

ラーメン好きが高じて独学で開業

「最初に店を始めた頃は、ほかにも仕事をやっていて、ラーメンを軽く考えていました」

中村さん。稼ぐ仕事と好きなことの両立……ラーメンは後者であった。どこで修行するでもなく、独学でラーメン店を開業。当初は自分の味覚を前面に打ち出した、どちらかと言うとプロ寄りのラーメンに固執していたという。

元よりラーメンが好きで、会社勤めをしていた頃は、あちこちの出張先でその土地のラーメンを興味深く食べていた。そうして、中村流のおいしさのイメージが確立されていったのである。

最初にラーメンに興味を覚えたのは、学資稼ぎのために働いた大手食品メーカー時代。残業時間が200時間を超す月も珍しくなかった。深夜の休憩時間、会社の近くにやって来るラーメン屋台に頻繁に通い、オヤジさんがまるで鉛筆を研ぐかのごとくネギを削る姿を「カッコいいな」と思って見ていた。ラーメン1杯がまだ30円の時代だった。

その後、清涼飲料水メーカー、コンビニエンスストア、知らぬものがいないくらいの大手企業ばかりに勤めた。「それなのに、なぜラーメン屋さんに?」と訊ねると、

「仕事では絶対に負けない自信があった。それだけ全力で打ち込んでいたから、普通の人の定年が57歳とか60歳とかであれば、自分は人より早く定年を迎え、後は好きなことをやろうと思ったんです」

との答え。人の30年、40年分の仕事人生を、わずか12~13年で一気に駆け抜けた。出世も安泰な老後も自分には必要ないと思った。会社というバックボーンを脱いで、中村個人がどれだけのことをやれるのか確かめてみたかった。男、44歳にして自分を表現する場をラーメン屋と定めたのである。

丼の中には無限の可能性がある

JR横浜線の成瀬駅下車、5~6分も歩けば通り沿いに『大文字』を見つけることができる。この店のウリは、豊富なメニューと惜しげもなく出される見事なラーメン丼(素人でもわかる高価な陶器。同じ器は2つとない)。

『ネギらーめん』や『辛味噌らーめん』などの看板メニューのほか、『カレーらーめん』や『キムチらーめん』、『いわし缶らーめん』など、名前を聞いただけで食べたくなるラーメンが12種類。

豚ガラ、鶏ガラ、煮干、昆布、カツオ節・・・、素材を重視した和風スープをべースに、味噌や醤油は季節によって独自に配合を変える。『チーズらーめん』、『納豆らーめん』、『イタリートマトめん』と一瞬たじろぐようなラーメンも、実にバランス良く仕上がっている。

に合うものって何かな? と純粋に考えると、古来から日本にある素材の中に、合うものがたくさんあるんです。これは絶対ダメと決めつけて可能性にフタをせず、発想を自由に広げていけば、味は無限に展開できます。その中でお客さまに受け入れられるものを出していけばいいと思うんです」

と真正面から熱心に取り組む。

「丼や寸胴が丸いのは、その中に無限の可能性があるから。人生もそれに似ている。うまいラーメンをよそうのように、いい人柄が織りなす人生のほうがおもしろい」

温和な表情の奥には、いつもフツフツと闘志が燃えている。『大文字』のラーメンを覚えたいとやって来る人も稀ではない。いつか今度は『ラーメン屋・中村軍団』が結成される……それが、そう先ではないような気がしてならない。



大文字
住所:東京都町田市成瀬が丘2-4-1
TEL:042-796-8110
営業時間:11:00~15:00、17:30~20:00
定休日:火曜・第3水曜

中村 紘さん

株式会社 大文字
代表取締役
中村 紘さん
NAKAMURA HIROSHI

昭和18年2月28日生まれ。神奈川県横浜市出身。大手コンビニエンストアの中枢部に勤務していた頃は、持ち前の企画力と統率力をフルに発揮し、『中村軍団』を率いていた。昭和62年晴れて独立し、不動産業や投資信託などに傾倒する傍ら、副業としてラーメン屋を始めた。現在は「ラーメンに100%打ち込んでいます」という熱心な経営者。