ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.25 めんちゃんラーメン

九州一の歓楽街・中州。年間およそ1000万人の観光客が訪れる夜の街。『キャナルシティ博多』方面からネオン街への入口・水車橋たもとに店を構える『めんちゃんラーメン』は、地元の常連客や観光で訪れた人々に古くから親しまれているとんこつラーメンの人気店。野球選手や芸能人の顔を目にする機会も多いと聞く。夕方から明け方まで夜型営業の繁盛店。

「もし、あのとき手をケガしなかったら、もし、あのとき兄貴とケンカしていなかったら、ラーメン屋にはなっていなかったかもしれない」

ご主人・宮川三千三さんは少し気恥ずかしそうに昔を振り返る。生まれ育った玄界では中学を出ると船に乗るのが当たり前。宮川さんも迷うことなく漁師になって、五島列島あたりで漁に明け暮れる日々を過ごしていた。

5年目の夏、漁場で手を痛め、福岡市内にラーメン店を営む親戚の家から通院することになり、そこで店を手伝ったことが、彼をこの道へと向かわせた。

「せっかく陸に上がったんだし、ついでにクルマの免許でもとって、手に職をつけたいと思った」

お世話になったのは、祇園町にあった『のんき屋』。1年の下積み後、高砂にある『のんき屋』の親方のところで修行させてもらうことに。暖簾分けの形で初めて自分の店を出したのは2年後、昭和52年のことだった。大橋に出した宮川さんの『のんき屋』は、親方のところで覚えたとんこつラーメンで少しずつ常連のお客さまをつかんでいった。

「漁師のほうがはるかにキツイよ。こっちはシケもないし、女の子は来てくれるし、少々のことで弱音なんか吐けないよね」

と笑っている。8年続いた店も最初にお世話になった親戚の店を引き継ぐことになり閉鎖。引き継いだはいいが、2年もせずに立ち退きに遇う。新店が定まらず、途方に暮れたりもしながら、昭和62年11月、現在地に晴れて『めんちゃんラーメン』の暖簾を掲げた。

中州を代表する博多ラーメン店の1店に

見習いの頃は酒も飲まず黙々と仕事を覚え、23歳で独立したときの借り入れは1年もかからず完済、高校の資格は通信教育で卒業……そういう性格の人だから、中洲の酔客に泣かされたことも少なくなかった。

店内で暴れたり、入口のガラス戸を割ったりする無謀な客に、元・海の男は真っ向から立ち向かい、店とお客さまとラーメンを守ってきた。

とんこつひとすじ27年。親方の味から自分の味へ、中洲の広い客層に喜んでいただけるように工夫を重ね、いまの味をつくってきた。豚頭を沸騰させてよく洗い、丹念にアクをとりながら野菜と共に煮込むこと10数時間。カタ茹での中細ストレート麺は、白いスープといっしょに最後まですすりたくなる博多っ子寄りの味。

カウンターの向こうでは、お客さんの丼が空になっているかどうか気になって仕方がない。「味が合わんかったですか?」残した人に何度たずねたかわからない。「とんこつラーメン極細麺じゃないと食えん」というお客さま用に何玉か、店の中細麺以外にも極細麺も仕入れている。

そんなご主人に、自ずとファンも多い。スナックのママがお客さまを連れて来たり、中洲の仕上げに出張族が立ち寄ったり、野球選手や芸能関係の一団が食べに来てくれたり……。

間口一間、20席のラーメン屋『めんちゃん』の赤い看板をくぐれば、そこには今日も博多の夜を象徴する”博多らしい博多のとんこつラーメン“が待っている。



めんちゃんラーメン
住所:福岡県福岡市博多区上川端町3-1
TEL:092-281-4018
営業時間:19:00~翌4:00
定休日:日・祝

めんちゃんラーメン

宮川 三千三さん

めんちゃんラーメン
宮川 三千三さん MIYAGAWA MICHIZO

昭和29年12月、福岡市玄界島で漁師の3男として生れる。中学を出ると家業の手伝いを始めたが、20歳で島を後にしてラーメン屋に勤め始めた。それから27年、ラーメンひとすじに日々精進している。現在地で『めんちゃんラーメン』を始めて15年目に入った