ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.27 くじら軒

「横浜のラーメン屋さんで一番の行列店は?」と問えば。間違いなく名前があがる『くじら軒』。店主・田村満儀さんが店をオープンしたのは平成8年5月のことだった。横浜家系ラーメンのお膝元で、田村さんのラーメンは近隣のお客さまをしっかりつかんでいる。醤油味の澄んだスープにストレートの細麺がほどよく絡むバランスの良いラーメン、テレビや雑誌等を見てわざわざ尋ね来るお客さまも後を絶たない。

「必ず行列の出来る店にするから、と反対する家族を説き伏せました。私にとってラーメン屋を始めることは1つの賭けでした。闘病生活を続けながらサラリーマンやって45歳になったとき、このままいっても後がないと思ったんです。自分では内心、きっとうまくいくという自信めいたものがありました」

田村さん。チラシを撒くわけでもなく。開店セールするわけでもないのに、その言葉通りオープン当日からお客さまが切れることなく入ってくださった。約6年が経過した今日も客足が途絶えない。ラーメンの味も然ることながら家族的な(妻、姉、妹、息子にその縁者たちで運営)温かい雰囲気のもてなしが、懐かしさと安らぎに満ちた店内に調和して、安心するのだと常連客は言う。

田村さんのラーメン初体験は小学校の頃にさかのぼる。目黒区祐天寺にあった実家の隣がラーメン屋だった。その味が『くじら軒』のラーメンのベースになっている。

薄口醤油を使ったラーメン薄口醤油で整えた支那そば、そして塩ラーメン。会社勤めをしていた頃から休日に家族や知人たちにふるまっていたラーメンを、遂には職業として店1軒構えたのである。

家族の応援が田村さんを支えた。並んでまで食べてくださるお客さまの期待に応えようと、店をオープンした後も田村さんの研究と改良は続いている。その姿勢がお客さまに伝わらないはずがない。来る日も来る日も馴染みのお客さまが訪れ、田村さんとご家族の何よりの励みとなっている。

クジラのように大きな存在になりたい

くじら軒』の評判はラーメン業界やフリークの間に瞬く間に広まった。そして、平成13年春『小樽運河食堂ラーメン工房』に出店。決意するまでに迷いがなかったと言うとウソになる。しかし、「自分が北海道で頑張りたい」という息子さんのためにも好機と考え、自らもまだ雪の残る北海道に飛んだ。不馴れな気候風土の中、横浜に1軒目を開店した頃とは異なる困難が次々と押し寄せてくる。

「小樽には道外からのお客さまが多いから、やっぱり本場のラーメンが根強い人気のようです」

厳寒の北海道で初めての冬越し。「この地ならではの出会いと学びがある」と言う。店主・田村満儀の精神を宿した御子息は1杯1杯に魂をこめて麺あげをする日々。

横浜の店には親族以外の弟子を2人預り、昨年から進めている東京出店の話も、今春を目処にいよいよ本格化している。

自分はクジラの生まれ代わりだと信じている店主。子どもの頃から繰り返しみた夢は、ザトウクジラになってニュージーランドの海を回遊する夢。「クジラのように大きな存在になりたい」と店の名を『くじら軒』にした。

「平凡な人生はつまらない。良いも悪いも大変なことも、いろいろあって味わい深い人生です。特にここ数年、いろいろなことが経験できて、新しいご縁にも恵まれ、ありがたいことだと思っています」

田村さん。Tシャツからのぞく日焼けした肌とたくましい腕、ジョークたっぷりの人当たりの良さが印象的な人である。



くじら軒
住所:神奈川県横浜市都筑区 牛久保西1-2-10アネックスパーク1-B
TEL:045-912-3384
営業時間:11:30~15:00(土・日・祝)、17:00~22:00(火-土・日祝)
定休日:月曜(祝日の場合は翌日)

田村 満儀さん

くじら軒
店主
田村 満儀さん
TAMURA MITSUYOSHI

昭和24年7月30日、東京都目黒区生まれ。八百屋の第4子として腕白に育ち、住宅メンテナンス、事務機メーカー勤めなどサラリーマン生活を経て46歳で独立。開店当初より行列ができる店として繁盛する。小樽運河食堂内に出店。