ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.3 すみれ・純連 村中 伸宜さん

札幌では「兄貴の店か、弟の店か」と言われる人気のラーメン屋が2軒、ほど近くにある。純連(じゅんれん)と純蓮(すみれ)。ラーメン東へ西への第3回は、「ラーメン屋にはなりたくない」と自分の夢を追い続け、それでもやはり両親の築いたラーメン屋ののれんを守ることになった村中(弟)の”行きつくところ、ラーメン人生“を訊いた。

和食を志して12年

「18歳で和食の道へ入り、24歳で先輩に誘われドイツへ渡った。ミュンヘンの『ジャパンレストラン三船』(故・俳優三船敏郎さんの経営する店)で、板前と2年働いたことがあるんです。100人席が1日3回転するくらいの繁盛店で、忙しかったなあ。ドイツでは周りに海がないから、魚はすべてフランスからの輸入物。野菜はグニャグニャで、苦労したよ」

そして日本に戻り、故郷に念願の自分の店を構えた。『すし郷』である。

店は流行り、腕のいい和の料理人として包丁を握っていた村中社長。が、昭和63年に父親が病に倒れ、あれほど嫌っていたラーメン屋を継ぐ決心を固めた。

純蓮の味を広めたい

「親のつくったものの素晴しさがようやくわかったんだ。だから、自分の店は人に売って、和食をやめた。純蓮の味を広めたいと思ったし、今はこれで一世風靡してやるぞ、みたいな気もあるよ。親父とお袋の店、俺が守っていこうと決めたんだ」

後を継いで5年目。新横浜ラーメン博物館への出店が決まった。

「ラーメンづくりにいちばん大切なのは”水“だよ。だから、新横浜には北海道の水を送っているんだ」

商売の採算よりも、職人としてのプライドと2代目の意地から、どうしても”純連の味“をそっくりそのまま新横浜に再現しなくては気が済まなかったという。そして、村中社長の札幌、新横浜の往復生活が始まった。親から引き継いだ純連の味で勝負していくからには、どちらの店も気が抜けないのだそう。そして、それを支える両店のスタッフ。

「僕の力の源は従業員です」

きっぱりと爽やかに結んでくれた。
ラーメン純連を引き継いで丸16年目。今やその名は、北海道~東京~九州と全国区に。雑誌やラー博で知った日本全国のお客様からもラーメンの注文が後をたたない。

*おみやげラーメンは2食で1,680円から。通信販売でも購入できる。
問TEL 011(824)5655



純連
札幌本店
住所:北海道札幌市豊平区中の島2条4丁目7-28
TEL:011-824-5655
横浜支店
住所:横浜市港北区新横浜2-14-21 新横浜ラーメン博物館内
TEL:045-471-2956
定休日:火曜日
営業時間:11:00~21:45

村中 伸宣さん

有限会社 純連
代表取締役
村中 伸宣さん

小学校に入ると間もなく両親が始めたラーメン屋。学校ではそのことでからかわれ、子供心に「僕はラーメン屋なんかにならないぞ」と思った。高校卒業と同時に和食の道に進み、ドイツで働いたことも。平成元年、家業のラーメン屋を継ぎ現在に至る。