ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.31 中華めん処 道頓堀

東京・板橋区の閑静な住宅街に18年前暖簾を 掲げた道頓堀の庄司さん。若干21歳、「ラーメン屋をやりたい」との想いだけで店をオープンしたという。苦労はオープン直後から始まった。そして……。去 る9月18日と19日、スタッフ3名を伴い、福岡に出向いて道頓堀ラーメンイベントを開催した。大盛況の2日間を終え、今はまた東京での忙しい日々が続い ている。

一人っ子で育った庄司武志さん。ラーメンの記憶は、3~4歳頃、郷里の山形で父が銭湯の帰りに連れて行ってくれた公園の近くのラーメン屋に始まる。同じ山形で、叔父もまたラーメン屋を営んでいた。子どもながらにその繁盛ぶりが心に刻み込まれた。少年時代のラーメンにまつわる思い出である。

東京に引っ越して最初に食べたラーメンは、出前でとってもらった濃い色をしたスープ醤油ラーメン。以後東京という土地柄、豊富な種類のラーメンを食べることに。その意外性と枠にとらわれない自由さへの喜びが彼をラーメン屋へと導いた。専門学校を出て洋食のコックからラーメン屋の見習いへ。今日ではさほど珍しくない経歴だが、庄司さんの場合、自分の店を開店した年齢が異常に若い。

「店を始めたときはまだ21でした。こわいもの知らずと言うか、わからないから始められたんですね。家賃は安いほうが……と、都心から離れたところに決め ました。店を開けるまでより、開けてからのほうが足りない物続きで苦労しましたね。材料の仕入れや備品の調達、運転資金と物の流れなどは開店して初めてわ かるようになりました」

『道頓堀』の中華そばつけめんは、煮干魚介類豚骨鶏ガラ……素材を吟味し、しっかりだしをとってつくるスープと、この店ならではの極太麺が特長である。どこか懐かしいような、それでいて店主の気迫が伝わってくる精悍な味わい。やさしさと誠実さの融合を感じる。東京にありながら、その値頃感にも驚かされる。

自分にはラーメン1杯が精一杯

影響を受けたラーメン屋さんは? と尋ねると 「高校生くらいから東池袋大勝軒にはよく通いました。山岸さんの中華そばが好きで、少なからず影響を受けています。秋から自家製に変えた麺も、実は店が休みの日に『大勝軒』の山岸さんのところで勉強させてもらった麺なんです。今でも『大勝軒』の朝一番の麺は山岸さんのお手製ですよ」

と返ってきた。20年以上あこがれたラーメン職人の手ほどきを受け、製法を学んだその麺に、情熱と気迫がこもるのもうなずける。店で出す1日250杯の麺、1杯1杯に気合がこもっている。

「最初はラーメン屋が軌道に乗ったら、イタリア料理店も、などという気もあったけど、自分にはラーメン1杯が精一杯。ごちそうさま、おいしかったよ、と笑顔で言ってくださるお客さまに励まされながら1日1日が過ぎていきます。楽しく仕事をやろうが身上で、今のところ店を増やす気はありません。やっぱり大勝軒の山岸さんのように、最後まで厨房に立ち、自分の味と向き合っていたい、そんなふうに感じます」と庄司さん。店のスタッフは誰もが口をそろえて「店長が店をやめるまで道頓堀で働きます」と真顔で答える。

成増駅から徒歩10分の住宅街で18年にわたり愛され続けてきた1軒のラーメン屋は、人気ランキングでも常に上位にマークされ、行列の絶えない店へと成長した。しかし、厨房で麺あげをする店主には、若くして店を開けた頃の純粋さと情熱が今もしっかりと宿っている。



中華めん処 道頓堀
住所:東京都板橋区成増1-19-12
TEL:03-3939-6367
定休日:木曜日、第1、第3水曜日
営業時間:11:30~14:30、17:00~22:30
(スープ終了まで)

庄司 武志さん

中華めん処 道頓堀
店主
庄司 武志さん
SHOJI TAKESHI

1962年11月、山形県生まれ。小学校の頃、東京都内に転校する。高校卒業後、専門学校で洋食を学び、コックを経てラーメン修行に。1984年10月、自分の店をオープンし、さまざまな困難を経て今日に至る。趣味:テニス。