ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.32 ふくちゃんラーメン

博多のラーメン好きにオススメの店を何軒か、と訪ねれば、必ず名前が挙がる老舗『ふくちゃんラーメン』。都心より少し離れた立地だが、多数のお客さんが詰め掛け行列が絶えない。この道24年のベテラン、榊順伸さんは今年で65歳。「いつも険しい表情で、ほんど無口。まさにガンコ親父」。お客さんが榊さんに抱く共通の印象だ。博多出身"ガンコ親父"のインタビューは意外にも(?)笑顔で始まった。

「17~18歳のころ、爺ちゃんに連れられ、長浜屋台で初めてラーメンを食べた。1杯70円やったね。感想は"うまい"のひと言で、今でも鮮明に憶えとうよ」

昭和30年代初め、人生初のラーメンを 口にした榊さんは、やがて学校を卒業し、機械部品メーカーの営業マンに。ほどなく結婚し3人の子供を授かる。会社一筋の人生に転機が訪れたのは41歳の時 だった。福岡市・西新商店街の近くでラーメン店を営む義姉が、身体をこわして店を続けられなくなったのだ。「何とか引き継いでくれないか」との懇願に、榊さんは『ふくちゃんラーメン』の暖簾を受け継ぐ決心を固める。

「それまで実際にラーメンをつくったことなんてなかった。が、やるからには誰にも負けたくない。姉さんの味も生かしながら"自分流"へと改良を重ねていくことにした」

特に精力を注いだのが「平ざる」での「麺あげ」だ。練習に使うの費用もバカにならない。そこで、フロ桶にタオルを何十本も浮かべ、1本1本を、きれいにすくえるように練習した。最初の数ヶ月、寝る時意外は「平ざる」を手から離さなかった。

「オープンしたての頃は、1日150~200杯しか売れなくて、悔しくて泣いたこともある」

という榊さん。毎晩、自宅に帰ってからも奥さんと一緒にレシピをつくり上げる日々が続いた。特に「元ダレ」はかなり研究を重ねたという。その甲斐あって、段々と満足できる味が出せるようになった。

「常連さんから"前の味を追い越したな"と言われた時は本当に嬉しかった。そうなると余計"他に負けるか"という気持ちが強くなったね(笑)」

店に立てばいまだに緊張の連続

約9年前、現在地に移転した『ふくちゃんラーメン』は、いまや1日平均500杯を売り上げる繁盛店だ。厨房では"湯切りラーメンのおいしさを決める"との持論をもつご主人が、寡黙にをあげる。

に巧みに空気を含ませる手さばきは実に見事。利き手に貼ったシップ薬に「自信」と「誇り」が感じられる。ラーメンの特長は"見た目こってり、後口あっさり"。ドンブリいっぱいに注がれたとんこつスープの表面には、きれいに透き通ったが浮いている。

醤油味の効いたチャーシュー青ネギと、至ってシンプル。醤油のほんのりとした芳ばしさ、豚頭エキスのコク、が三位一体となったアツアツのスープに、モチモチのしたストレート中細麺がほどよく絡み、見た目よりも、後口はかなりあっさりしている。味はもちろん、受け皿に"あぁ、これぞ昔ながらの博多ラーメン!"と、思わずコブシを握る。

店を継いで24年目。辞めたいと思ったことはなかっただろうか?

「たまに酔った馴染みのお客さんから"今日のラーメンはダメやね"と言われる。酔っているとはいえ、そう言われると、疲れている時は"もう辞めようかな"と弱気になるね。でもすぐに、"次は絶対納得する味を出してやる!"って頭が切り替わる。だって、他に負けたくないからね(笑)」

ラーメンをつくる時は楽しいのか? と愚問をぶつけてみた。

「いまだに緊張の連続。"あそこの大将は全然喋らんし、いつも怒った顔しとる"って評価を聞くけど、実は緊張しとるだけなんです」

と屈託のない笑顔。榊さんは決して「ガンコ親父」ではなく、実直で誠実な「職人」なのだ。

今は奥さんだけでなく、息子さん夫婦、娘さんも加勢し、家族で『ふくちゃんラーメン』の"いつも変わらないおいしさ"を支えている。

「1杯に込める情熱は、継いだ時よりも今のほうが強い。これからも体力の続く限り、ずっと厨房に立つよ。息子は、もう少し修行が必要やね」

と、終始笑顔の榊さんは最後にこう締めくくった。



ふくちゃんラーメン
住所:福岡市早良区田隅2-24-2
TEL:092-863-5355
定休日:火曜日
営業時間:11:00~21:00

榊 順伸さん

ふくちゃんラーメン
店主
榊 順伸さん
SAKAKI YORINOBU

1937年1月17日、福岡市早良区室見生まれ。学校を卒業後、工具・部品などを扱う機械メーカーの営業マンに。1978年、41歳で脱サラし、「ふくちゃんラーメン」義姉より引き継ぐ。1993年、現在地に移転 趣味・囲碁、将棋、ゴルフ、魚釣り