ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.34 博多だるまラーメン

「博多らしい昔ながらのとんこつラーメン」という言い方で紹介されるラーメンがある。果たして「昔ながら」とは、どんな味なのだろう? 今回は、両親の味を引き継ぐ博多の2代目ラーメン屋を訪ねた。ラーメン屋の息子に生まれ、ラーメンに育てられたと言う男が、いくつもの葛藤を経て築き上げてきたものは、福岡と東京に出した異なる3軒のラーメン屋だった。

「人はどこから来て、どこへ行くのか。昔から、そんなことが気になって仕方ないんです」

という店主・河原秀登さん。ラーメン屋の息子に生まれ、ラーメン屋になるつもりはなかったのに、いまはラーメン屋を3軒切り盛りしている。漠然とだが、最期までラーメンに関わる仕事をしていそうな気がするという。

大阪で別の仕事をしていた彼は帰郷した際、両親の営むラーメン屋の店の前にお客さんが並んでいる様子を見て、なぜか涙が止まらなくなった。込み上げる熱いものが「店を手伝う」気にさせたと話す。

秀登さんは23歳から両親の店を手伝い始めた。彼の描いた未来予想図は、25歳までに技術を覚え27歳までに独立することだった。子どもの頃からラーメン を身近な存在に育ち、調理の勉強までした彼にとって「ラーメンをつくること」は、そう難しいこととは感じなかったのかもしれない。

その上、若かった。とんがっていた。小遣いも欲しかった。だから、一人前に「味」すら習得できないうちから、ラーメン屋の仕事と並行してナイト営業のクラブやスナックに勤務し、「経営」の勉強をした。

両親は店を継いで欲しいと願った。しかし、27歳で彼は独自に『秀ちゃんラーメン(福岡市・警固)』をつくった。

「父のとんこつラーメンを超える味をつくる」

と思い、味も自分流にアレンジした。こってりとろみのある男性的なスープ。瞬く間に評判の店となるが、しかし、ジリ貧もしっかり経験し、日一日と客足は定着していった。今では「観光客も探していく福岡を代表する1軒」と言っても過言ではない。

東京にカフェスタイルのラーメン店

博多だるまラーメン』は、秀登さんが2000年12月、両親の店『だるまラーメン(1963創業~2000閉店・東区箱崎)』の味を引継いで、現在地に移転オープンした店。『博多だるまラーメン』を開店してからは、店に併設した麺工房で父・登さんが、づくりを担当してくれている。飲みやすくマイルドなとんこつスープコシのある極細麺。親子2代の味が1つになったものが、今日の『博多だるまラーメン』の味なのだ。

親に反抗して出した『秀ちゃんラーメン』。そして、両親が育ててきた味を未来につなぐため、立ち退きを機に引継いだ『博多だるまラーメン』。その間、約3年。歳月が彼に親の有り難味とラーメンの難しさを教えた。

2軒目は店の雰囲気も外に取り付けた看板も『だるまラーメン』そのもの。気がつけば、母親のお腹にいたときから『だるま』のラーメンと両親が、彼をここまで育ててきてくれたのだ。そんなことが充分わかるようになった昨年夏、彼は念願だった東京出店を果たす。赤坂に出したカフェスタイルの店『ラーメン屋 秀』。女性1人でも入れるラーメン屋をコンセプトにしている。

両親の背中を見て育った生粋のラーメン屋のせがれ。これからどう進んでいくのかを最近よく考えるらしい。父は彼に何度か言った。「ラーメンしかない人生を送るな」と。その言葉を胸に刻みむように彼は言う。「でも、いっぺんきりの人生。犠牲にするものもあるけど、いちばん好きなラーメンを思う存分やってみたい」と。

道半ば、志半ばに立ち、手探りながらも懸命に走る彼の話を聞きながら「ラーメンに負けないくらい図太く、骨太く、コクのある生き方をして欲しい」と思った。



博多だるまラーメン
住所:福岡市中央区渡辺通り1-8-26
TEL:092-761-1958
定休日:年末年始
営業時間:12:00~13:30、19:00~翌1:30

河原 秀登さん

博多だるまラーメン
店主
河原 秀登さん
KAWAHARA HIDETO

1966年12月23日、福岡市に生まれる。アメリカへ留学したことで単位を落とし、大学を中退。家出同然で大阪に行き、調理の勉強をする。地場の割烹で1~2年修行し帰福。23歳から両親の店『だるまラーメン』を手伝う。以降、紆余曲折を経て今日に至る。 ※発行人・河原成美と縁戚関係ではありません。