ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.38 とら食堂

人口4万8000人の福島県白河市が『ラーメンの街・白河』として全国的に知れわたるようになった昭和後期、『とらさん伝説』の立役者である父・竹井寅次さんから店を引き継ぎ『とら食堂』2代目として店を守り続けている竹井和之さん。中華そばの味に磨きをかけ、今日の白河のラーメンシーンをリードし続けている。48歳、その生き方、信念を追った。

『とらさん伝説』とは、竹井さんの父・寅次さんにまつわる伝説である。大正15年生まれの寅さんは、近所でも評判のギャンブル好き。その上大酒のみで、仕入れの金を握って競輪場へ足を運ぶような遊び人で通っていた。しかし、寅さんのつくるラーメンは群を抜いて評判がよかった。太くちぢれた手打ち麺に、相性のいい醤油ダレのスープ。麺量が多く、雪国にはもってこいの食事だったのだ。

かつて、寅さんの中華そばを教えてほしいと修行に入る人が市内に何人もいた。その人たちに、寅さんは惜し気もなくつくり方を伝授したのである。毎日、自分のつくった中華そばを弟子たちに味見させて、出来映えを確認しながら、しっかりとした味を舌に憶え込ませていたのだ。

弟子たちはそれぞれに独立し、そこからまた巣立った人たちも店を出し、今や白河は中華そばを出す店が100軒にも上る麺どころとして成熟した。種を撒いたのが寅さんであり、長い時間をかけて火種を導火線にしたのが息子の和之さんだと言えよう。親子2代、白河ラーメンを牽引し、味の伝播に貢献してきた。

昨年3月、一風堂のラーメンイベントでも『とら食堂』の『手打ち中華そば』が披露された。雪深い白河、水が美しい白河で生まれ育った「のある清廉な味」は、「手打ち麺のなめらかさに感激した」「とてもなつかしい味」「が『我がなり』とかたりかけてくるようだった」と九州~博多の人々も魅了した。

丸鶏鶏ガラ、豚のゲンコツ胴ガラでとる澄んだスープ化学調味料を一切使わないため、多量の食材を用いて出汁をとる。も毎朝、店に併設の麺打ち場で手打ちしたものを3日間寝かせてコシを強くする。

次の世代に渡すまで研究と挑戦を続ける

「たくさんの人が習いにくるけど、半端な気持ちではやれないよ」

と竹井さんは言う。朝11時開店のために、早朝4時、5時から仕込みを始めるのだ。竹と麺棒を使い、加水の高い麺を打つ。全身を使って打つ「手ごね手打ち」のは、1時間に約50食ほどしかつくれない。体力と根気が続かず、修行の身でありながら逃げ出す人も少なからず。

「自分もラーメンやって儲けよう、なんて気持ちで来たんではダメだね。をつくる、スープをつくる、自分のラーメンをお客さんに喜んで食べてもらいたい、そんな気持ちがないと白河で通用する中華そばはつくれないよ」

と説く。さらに、一流の麺打人を志すのであればカンとセンス、気力やバランス感覚を要するのだ。 弟子たちや見習いに入る人に厳しい竹井さんだが、己にはさらに厳しい。体の弱い母親をかばいながら仕事に打ち込む父の姿を、子どもの時からしっかり眼に焼き付けて大人になった。その父が56歳の若さで亡くなったとき、竹井さんはまだ30歳にも満たなかった。

に蕎麦打ちの手法を取り入れたのは、うちの父です。もともと白河は手打ち蕎麦の伝説がある地域だったため、中華そばへの応用を思いついたんですね。スープも含めて、店に入ったときから父親の仕事を習い覚えてつくっていました。基本は父の味とつくり方。そこから随分勉強して、材料など格段にグレードアップさせました」

仕込みを含めて一から十まで人任せにできぬ性分ゆえ、多店舗化することもせず、ひたすら『とら食堂』の暖簾を守る竹井さん。

「好きじゃなきゃできない仕事だよ。自分で好きな道を進んできたし、幸せなことです。次の代に渡すまで、しっかりとしたものをつくっていきます」

とたくましい腕を組み直す竹井さんである。



とら食堂
住所:福島県白河市大字双石字滝ノ尻1
TEL:0248-22-3426
定休日:月曜日(祝日と重なる時は翌日)
営業時間:11:00~14:30、16:00~18:00  (日祝は通し営業)

竹井 和之さん

とら食堂
店主
竹井 和之さん
TAKEI KAZUYUKI

1955年3月、5人兄弟の末っ子として福島県に生まれる。高校卒業と同時に上京し会社勤めを始めるが、2年弱で家業を継ぐために帰郷。以後今日まで、白河にて日々中華そばを打つ生活を続けている。趣味はゴルフと食べ歩き。