ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.40 龍の家

とんこつラーメン発祥の地として名高い久留米(福岡県)に平成11年5月、1軒のラーメン屋がオープンした。『龍の家』と名を冠したその店は、久留米の昔ながらの伝統的なスープのとり方ではなく、博多ラーメンの流れを汲む手法でラーメンをつくった。サラリーマン生活からラーメン屋に転向した店主、梶原龍太さんのこの5年の変化を追った。

久留米生まれ久留米育ちの店主・梶原さんは、幼少期からラーメン好きの父に連れられ、久留米や鳥栖、佐賀のラーメン店に頻繁に食べに行った経験をもつ。そして、子供なりに「自分の好きな味」を知っていた。

大人になっても「ラーメンが好き」という気持ちに変わりはなかったが、それはあくまで食べる側の「好き」であり、まさか自分がラーメン屋になろうとは思ってもいなかった。ただ、漠然と「将来は地元・久留米に帰り、何か商売をやりたい」というおぼろげな意識を頭の片隅に、彼は会社勤めを続けていた。

ラーメン屋になることを決意したのは、社会人4年目の夏を過ぎた頃。父の奨めもあって、一風堂河原成美と会う。

「飲食業界で働く人の意識を高めたい。ラーメン屋のイメージアップをはかり、働く人のステージを上げていきたい。女性1人でも入れるような店をつくって、 ラーメン屋はカッコいいと若い人が憧れを持って入ってくる業界にしていきたい」と熱意を語る氏に心動かされ、「自分もラーメン屋になろう」と思った。

そして、一風堂での修行が始まる。創業スタッフが一丸となって約4カ月間博多に泊り込み、昼夜を通してラーメンを覚えた。

「開店から丸5年を前に、自分の非力さを身にしみて感じています。ラーメンがこれほど深く、大変で、面白いとわかり始めたのは、3年目くらいからです。最初はもっと簡単に考えていました。なめてかかっていたのかもしれません」

スープは鏡のように彼らの甘さを写し出していた。味は安定しないし、そのブレを整える術もわからない。当初の彼らには、教わったことをただ教わったように、一から誠実につくることで精一杯だった。

味が安定しないから、お客様も定着しない。せっかく来てくださっても、再来店にはつながらない。「ありがとう」「ごちそうさま」は、若い彼らの情 熱に向けられる励ましであり、ラーメンを称える声ではなかった。それがわかったのは客足が萎み、迷いと焦りの中から「自力で何とかしなくては」と一念発起 してからのことである。

『龍の家』の名前だけで勝負できる店になりたい

龍の家』では久留米ラーメン特有の、そのスープを少し残し、そこに材料を足して翌日のスープをつくる「呼び戻し」という製法をとっていない。

一風堂に学んだ「とり切り」のとんこつスープは、久留米の人の口には上品すぎたのか?」

自問自答を重ねつつ、彼は市内のラーメン店を20軒、30軒と食べて回り、やがて1つの気付きを得た。「雑味もラーメンの味のうち」なのである。灰汁のとり方やスープの煮込み時間などを実験的に変えながら、「これ!」と思えるまでしぶとく調整を続けた。

一風堂と同じラーメン」「一風堂の弟子」「一風堂のコピー」、世間の評価は良くも悪くも『龍の家』の前に「一風堂の~」という前置詞がつく。関連会社のバックアップがなければ、店の存続発展はなかったことも確か。感謝の念を超えたところで彼は

「早く『龍の家』の名前だけで勝負できる店になりたい」

と考えている。

平成14年4月、開店から3年弱で「龍の家」の2軒目を久留米インターそばに出店できたのは、創業時から汗も涙も共にしてきた2人の現店長たちの協力があってこそ。本年度夏には、熊本に3軒目の出店も考えている。

「大将とか店主とか言ってもらうけど、できていないことだらけです。もっとドロドロになるくらい、いろんなものにまみれて、"困ったときは梶原に"と諸先輩方からもアテにしてもらえるような人間になりたい」

と彼は言う。本当の「ありがとう」は、「ありがとう」の中に誠の笑顔がある。お客様から本当の「ありがとう」が、もっといただけるように本気で頑張ります、と真顔で話す真摯な眼差しが印象的だった。



龍の家
住所:福岡県久留米市上津町1-2-1
TEL:0942-22-7811
定休日:なし
営業時間:11:00~24:00(金土は~翌2:00)

梶原 龍太さん

アペックスフーズ
代表取締役
梶原 龍太さん
KAJIWARA RYUTA

1972年2月、福岡県久留米市に生まれる。久留米で育ち、九州産業大学商学部を卒業、小売業に就く。大分県津久見市~宮崎県日向市に3年半勤務し、ラーメン屋になるため退社。『博多 一風堂』での研修期間を経て、99年5月にラーメン『龍の家』を開店。