ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.42 満州屋が一番

とんこつラーメン発祥の地・久留米」の歓楽街『文化街』に、古ぼけた1軒のラーメン屋がある。『満州屋が一番 本店』と看板を掲げたその店には、酔客や夜の仕事を終えた玄人衆などが多く見受けられる。若き店主のつくる、背油ミンチエキスを加えた「クリームシチューのようなラーメン」は、夕暮れの時から明け方まで文化街名物として、地元の人や観光客に親しまれている。

祖父・田中平三郎氏が『満州屋』の名で餃子屋台を引き始めたのは、昭和28年のことだった。そして、父・明氏が跡を継ぎ、現在地に店を構え、餃子に加えラーメンも出すようになった。

3代目・田中稔さん(28歳)は、幼少の頃から夜の街で織り成される人間模様を見聞きしすぎて、「ラーメン屋が極端に嫌い」だった。父と母がコツコツ営む歓楽街のど真ん中にあるラーメン屋、その2階に生活していたことも、田中さんの反発心をあおった。

彼が中3の時、父親が急逝する。残された母と従業員さんたちで『満州屋』を続けている姿を見ていると「ラーメン屋だけにはなりたくない」決心が揺らぎ始めた。それでもまだ10代の彼にその町を好きになることなどできず、久留米を出たい一心で就職先を福岡市内と定めた。

高校卒業と同時に彼は『博多 一風堂』の就職。縁故でも紹介でもなく、高3の夏休みに自分で福岡のラーメン店を食べ歩いた中で、一風堂のラーメンに惹かれ、「ここで働きたい」と意を決して臨んだのだ。

10年前の一風堂(現・大名本店)で、彼は朝から晩まで働いた。休憩すら取りにくい状態の中、1日12~13時間勤務が続き、4月1日の入社から、たったの5日間で音をあげた。

「自分がラーメン屋の息子であるとは言えず、店を継ぐ意思も固まっておらず、考えが甘かった」

久留米に戻ることもできず、そのまま福岡でひとり暮らしを続け、数カ月後に某パチンコ店でアルバイト生活を始める。

「ここでの経験が自分を変えるきっかけになった。仕事を通して厳しく指導されたおかげで、働く喜びや人のために何かをすることの楽しさを知りました」

6つ目の季節が廻る頃、ようやく家業を継ぐ気になって生まれ故郷の久留米に戻った。19歳の彼は、それから3カ月、死に物狂いでラーメンを覚えようと努めた。店を守ってくれていた従業員が独立するまでの引き継ぎ期間だったのだ。

日本一のラーメン店を目指して迷いなし

一風堂に勤務した頃とは志が数段違っていた。連日厨房に入り麺上げをしながら、酔っぱらいにも丁寧な対応を心がけ、やがて本気が座ったのは25歳を越えたくらいの頃。

満州屋を日本一にするという熱い想いを持ちながら、果たすことなく世を去った父の遺志を継いで、自分がこの店を日本一にする」

そう決意して店名を『満州屋』から『満州屋が一番』に改名したのである。と同時に

「祖父の餃子と父のラーメンを継承して、自分の味を出していく」

と心に決めた。2001年11月、本店の目と鼻の先に『とんこつしぼり店』を開店。その年の『久留米ラーメンフェスタ』には入院先の病院から駆け付け、麺あげをした。

「5~6時間も並んだけど、待った甲斐のあるおいしいラーメンだった」

と声をかけてくださったお客さまの言葉は、彼にさらなる意欲を燃やさせた。2003年12月には『明石ラーメン波止場店』を、今年の2月には『大阪ナムコシティー 浪花餃子スタジアム店』をオープンさせた。その後も、出店計画は進んでいる。

19歳で3代目を継ぎ、10月1日から10年目が始まる。途中、携帯電話の仕事を並行したり、ヴィンテージ物の洋服屋を営んだりと迷いも多かったが、もう逸れることはない。

「スタッフに支えられ、業界の諸先輩方に導かれて、1人の力では到底やれないことをたくさん経験させてもらっている。今はまだすべてが勉強です」

挫折も失敗も血肉となって、若きラーメン屋は今日も厨房に立つ。祖父と父から引き継いだ餃子ラーメンで、『満州屋が一番』を合言葉にどこまでも突っ走るのみ。

「誇りを持って"自分はラーメン屋です"と言えるようになるまで、6~7年かかりました」

と、しみじみ話してくれた。



満州屋が一番
住所:福岡県久留米市日吉町13-7
TEL:0942-32-6120
定休日:なし
営業時間:11:00~翌5:00
金・土は11:00~翌6:00、日は17:00~翌5:00

田中 稔さん

満州屋が一番
店主
田中 稔さん
TANAKA MINORU

1975年12月18日、福岡県久留米市に生まれ、高校まで久留米で暮らす。その後、福岡に出て1年半「外の飯を食った」後、帰郷し店を継ぐ。祖父が始め た餃子屋台から数えて『満州屋』3代目。日吉山王少年野球チームの先輩『魁龍』森山日出一氏、『龍の家』の梶原龍太氏をラーメン業界の兄貴分として仰いでいる。