ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.43 らーめん 初代

千歳空港から快速エアポートに乗り約1時間。小樽駅の1つ手前、南小樽駅で下車し、「のほほん坂」を下っていくと『らーめん 初代』が見えてくる。99年に『TVチャンピオン』のランキングで2位に選ばれ全国に名を馳せたこの店は、醤油味噌、いずれのラーメンも評判に違わぬ深い味わいで、店主の心意気が感じられた。

「家業としてラーメン屋をやりたかったんです。自分の腕1本での中身を守り、味で勝負する店になりたいと思いました」

と店主の太田勝敏さん。平日『初代』 は午後3時で閉店する。20代の頃、他のラーメン店に勤務したことで業界の辛酸をイヤと言うほど経験し、独自の経営哲学も構築した。「昼の3時で閉まる 店」も、過度の長時間労働に疑問を感じた彼が、おいしいラーメンを提供するためには体が資本と考え、自営になって実現したのだ。

「儲けが先にあって原価をはじくようなラーメンづくりには窮屈さを感じる」

「自分だけのモノサシに頼らず、意見を言ってくださる方の味覚に成り切って味の検証を」

「舌先ではなく喉で落とす、食べ進めていくうちに口の中に広がるふくよかな味、塩カドのない味が理想」

話を聞いているとナルホドと納得することばかり。現状の太田さんしか知らない人には、芯のしっかりしたラーメン屋の星のような人物に映る。しかし、自分の店を開店するまでの太田さんの人生たるや、迷いと自分探しの葛藤の繰り返しだった。

自分の志ひとつ、丼の中身だけで勝負したい

郵便局員の息子に生まれ、安定した家庭に育った彼は、相反して、安定した職場に身を置き、敷かれたレールの上を進むことを良しとしなかった。人と接して直に手ごたえのわかる飲食業に魅力を感じ、ラーメン屋の暖簾をくぐったのだ。

ラーメン屋以外にも蕎麦屋、絵画の販売などいくつかの職に転じた経験がある。いずれも仕事を覚えるまではよかったが、地位があがるごとに苦悩は増えていく。長時間労働、管理職としての責任、売らんがための裏工作……ストレスから頭髪が抜け落ちていたこともある。

「成功したい。お金がほしい。そうすれば幸せになる」と信じていた時期。行き詰まりながら、東京の自己啓発セミナーに参加し気付きを得、またインドへの精神修行に出かけたりして自分自身を模索する。

独立の陰には、観光客の「すごくおいしかった」という言葉も引き金になっている。自分が納得していないラーメンを褒められたことで、

「そうじゃない。自分はもっとおいしいラーメンをつくれる」

と怒りが込み上げたという。そして

「いつか僕が店を開いて、もっとおいしいラーメンをつくるから。そうしたらきっと、お客さまは僕の店に食べに来るようになる」

と、即座に褒めてくれた方に宣言した。TV番組に紹介されたことについては

「いつか全国的に自分の腕が試される時がやってくる予感がしていた」

と照れながら言う。早くから彼の中には、味覚に対しての自信が宿っていた。もちろんそれだけの下積みと努力があってにほかならない。

初代』という店名には「自分の志ひとつ、の中身だけで勝負したい」「店は1代限りで幕を閉じる」という想いが込められた。自分の味覚を信じ、どこまでも真摯にに向かう太田さん。店を開いてから客足は口コミで徐々に増えていった。

そして、TVチャンピオンをきっかけに客足は倍になった。それも半分の時間で……。それから5年がたった今日でも客足は一向に衰えない。その理由は『初代』のラーメンを食べてみればわかるはず。

熱さを封じ込めたいわし節香るまろやかなスープ、でっかい肩ロースのチャーシュー、多加水の中太ちぢれ麺、1杯のが太田さんそのものだった。

ラーメンをつくることが楽しい。たくさんのお客さまの食べている表情を見ながら厨房に立つことに、この上ない幸せを感じる」

そう言いながら、寸胴スープ味見する店主であった。



らーめん初代
住所:北海道小樽市住吉町14-8
TEL:0134-33-2626
定休日:火曜日
営業時間:
平日11:00~15:00
土曜11:00~17:00
日祝11:00~18:00

太田 勝敏さん

有限会社セヴァ
らーめん初代

店主
太田 勝敏さん
OHTA KATSUTOSHI

1965年11月、北海道十勝地方に生まれる。高校を卒業後は大手ゼネコン、第3セクターの土地開発を経て、ラーメン屋に勤務する。その後いくつかの飲食店で働き、94年11月に独立。この11月29日には「らーめん 初代」をオープンして満10年を迎える。