ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.47 丸豆岡田製麺 マメさん

函館ラーメンにあって、函館ラーメンにあらず」独自のアレンジを加えたマメさんのラーメンは、新函館ラーメンとして地元民はもとより多くの観光客に親しまれている。マメさんの岡田社長、彼の人生には数々のドラマがある。ラーメン初体験の幼少期から学生時代、マメさん復活劇、新横浜ラーメン博物館への出店、函館塩ラーメンサミットの立ち上げ……それらすべてが「ラーメン」をキーワードにしたドラマなのだ。

岡田芳也さんが初めてラーメンを口にしたのは、わずか4~5歳の頃。「なんておいしいんだろう!」と衝撃を受けた。家の近くに訪れるラーメン屋台で食べた塩ラーメン、その記憶が還暦を迎えようとする今日まで、鮮明に残っている。

小学生、中学生、高校生と成長していく中、ラーメンは岡田少年にとって何よりのご馳走だった。子どもながらに屋台ラーメンを食べ比べ、屋台ごとのチャルメラの音を聞き分け、すでに「ご贔屓の味」をつかんでいた。

佐々木さんの引く屋台龍鳳』との出会いは忘れもしない中学3年の時。その味が、いまの『マメさん』で出す新函館ラーメンの原風景となっている。

あっさりした塩ラーメンが特徴の函館で、40年以上も前に佐々木さんは豚の背脂を使った力強いラーメンを出していました。隠し味に使った醤油といい新鮮で、カルチャーショックを受けましたね」

家業の製麺会社に就職後、念願かなって佐々木さんと共に厨房に立つ夢を実現。1968年に百貨店のテナントとしてラーメン店・初代『マメさん』を出店したのだ。17年後に閉店するまで、多くのファンが舌鼓を打った。

時流れ2000年、新横浜ラーメン博物館からの強い要請で、館内に再オープンした『マメさん』。函館の代表と思って食べに来られるお客さまの期待を裏切るわけにはいかない。プレッシャーは重くのしかかる。

「この味で関東の人に通用するのか?」

自問自答の末、オープンまで正味3カ月ばかり実験厨房で連日スープの試作を繰り返したという。

マメさんの味を残しつつ、新しい味を加えていかねば……」

と試行錯誤の末、魚ダシを加えることで味を整えた。

「何か突出したらダメ。バランス感覚を大切に、食べた人が『なんだか旨いよね』と感じる味を出していきたい」

と岡田さん。

「人の味覚は相対的なもの。常に他のラーメンとの比較、他の食べ物との比較、時代の欲する味との比較をしていないと、取り残された味になる。そうならないように、いつになろうと私自身が、好奇心を失わないようにしないとね」

その考えは、4年前に函館に凱旋オープンした『マメさん』の新函館ラーメンにも根付いているし、創業85年を数える丸豆岡田製麺の仕事にもしっかりと活かされている。

『函館塩ラーメンサミット』の仕掛人

「夜景の街・函館」が「塩ラーメンの函館」として知れ渡った影に、ラーメンと函館を愛する岡田さんの功績は大きい。2002年から始まった『函館塩ラーメンサミット』の仕掛人でもあるのだ。

豚骨ラーメン発祥の地・久留米」のラーメンフェスタをお手本に、函館でも大々的なラーメンの祭典が3回開催された。マメさんは初年度から裏方に回り、出店する他店と会場の盛り上げ役に徹している。

塩ラーメンサミット開催により、函館のラーメンが活性化されている手応えを感じます。出店した店の人たちの心がまえが変わったし、他店にまで刺激を及ぼしています。新規参入の店も増え、この街はもっとおいしいラーメンでいっぱいになりますよ」

そういう岡田さんの「これから」を訊ねてみた。

「ラーメン屋のまかないラーメンみたいな、あっさりしたラーメンの構想を描いています。これまでやってなかった餃子にも力を入れたいし、海に囲まれた函館の海鮮餃子なんて魅力的じゃありませんか」

と、夢はどこまでもラーメンの延長だ。

ラーメンをつくっている時がいちばん幸せなんです」

岡田さんの声は弾んでいた。



丸豆岡田製麺 マメさん
住所:北海道函館市末広町12-3
TEL:0138-27-8811
定休日:なし
営業時間:11:00~19:00
ホームページ

岡田 芳也さん

丸豆岡田製麺
社長
岡田 芳也さん
OKADA YOSHINARI

1945年、函館市に生れる。東京の大学を中退し、21歳で父の会社に入社。1920年9月に父が創業した製麺会社を30歳で引継ぎ代表を務める。 2000年6月、新函館ラーメン『マメさん』を新横浜ラーメン博物館に出店。2001年4月、函館市内にラーメン店舗『マメさん』を開店。2002年より 開催されている『函館館塩ラーメンサミット』の仕掛人としても尽力している。