ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.50 ラーメン総合研究所 武内 伸さん

学生の頃からラーメンが好きで、『全国ラーメン王選手権』では見事優勝。その後、新横浜ラーメン博物館の広報として尽力し、3年前に『ラーメン総合研究所』を開設した武内伸さん。自称「佐野実さん(支那そばや店主)に日本一おこられた男」「ラーメン様に足を向けて眠れない」という武内さんのラーメン人生を訊いた。


これまで食べたラーメンは、ざっと6000杯を越える。新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博)勤務中は、出張で九州に赴き2週間で70杯、北海道は20日で93杯など、信じられない量のラーメンを食べていた。

その頃に運命の人と知り合う。『ガチンコラーメン道』で世間を賑わせた『支那そばや』の佐野実さんだ。武内さんに聞く佐野さん像は

ラーメンを根っから愛してる。ラーメンにおいてスジ違いなことを言うと、たちまちガチンコの声になるから油断も隙もない(笑)。佐野さんを前に、ラーメンに対して軽はずみなことは言えない」

それでも佐野さんにはよく怒鳴られた。

「今の自分があるのは、ラー博と佐野さんのおかげ」

と武内さんは言う。佐野さんからはラーメンの つくり方や材料のことなど、様々な教えを受けた。そして、それを糧にラー博から発信する情報はもちろん、雑誌・週刊誌などに忠実に著した。武内さんの文章 は多方面で珍重され、連載も何本か経験し、コミック誌に自らストーリーを書く、ラーメン職人を題材にしたマンガが掲載された。

500年後のラーメン史に名を残したい

独立してからは、日本各地へ講演や審査員などで招かれたりすると、その土地のラーメンに加え地元ならではの食べ物に舌鼓を打つ。

「そのラーメンが生れた背景を知らなければ語れないことってあるんです。土地柄、人柄、食を知ることで、ラーメンに対して誠実になれます」

行く先々で、ラーメンを前に武内さんへの期待は大きい。ご本人いわく

「ここ5年くらいは1杯のラーメンをいただいて、つくり手が何を考えているのかだいたいわかるようになってきた。しかし、自分はあくまでつくり手ではないから、偉そうなことを言う資格はありません」

ラーメンブームは終わったと言う人もいますが、ある時代にマスコミが騒ぎ過ぎただけのこと。視聴率や購買部数がモノを言う世界だから、常に新しい店ばかりを追い続ける。個人的には10年~15年と頑張っている店に注目したい」

武内さんに、これからのラーメンについて訊いた。

「この10年くらいで、高齢化ラーメンの時代が到来するでしょう。高濃度のラーメンは自分にもキツイし、ラーメン自体が大きく変化しないとキャパが狭まりますからね」

では、武内さんの将来は?

「一生ラーメン様と関わって、1杯の値段が1000円のハードルを越えるキッカケくらいつくって死にたい。500年後のラーメン史に名を残すようなことがあれば、僕のラーメン人生は大したもんです」
としみじみ。

「ラーメンを食べてエネルギーに換え、収入を得て家族を養えるのは有難いことです。ラーメン様が正しい道を歩まれるよう、しもべとなってひたすら尽くす所存です」。



ラーメン総合研究所
住所:神奈川県相模原市淵野辺4-14-23-106
TEL:042-733-6872

武内 伸さん

有限会社
ラーメン総合研究所

所長
武内 伸さん
TAKEUCHI SHIN

1960年、福岡県鞍手郡(現宮若市)に生れる。5歳で東京へ。以降、川崎市に育つ。東京・麻布高校、日大理工学部を卒業し、佐藤工務店に勤務する。「全 国ラーメン王選手権」優勝、準優勝を経験し、95年には新横浜ラーメン博物館に入社。8年を経て03年に独立し、ラーメン総合研究所を開設する。