ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.51 らーめん てつや

札幌に6軒の店を出す『らーめん てつや』店主・内海てつやさん(36歳)。店はテレビ、雑誌等の人気ランキングで、必ずと言っていいほど上位にランクされている。17歳でラーメン屋のアルバイトを始め、札幌~東京と勤めて10年後に故郷に自分の店を出す。順風満帆に見えるラーメン人生だが、実は"カッコよくない一面"も……。


「自分が監督だったら、コイツは使わないよなぁ……」

ある日、鏡に写る疲れ切った自分の顔を見てそう思った内海さん。役者を志し、所属プロダクションで稽古をしながら、ラーメン屋でアルバイト……、ほとんど寝る暇はなかった。「もう、ここまで」と役者への夢をキッパリと断ち切り、故郷・札幌へ向かう。27歳になっていた。

「30歳出店の夢」を描き、彼はラーメン屋務めに復帰する。ふと気付けば、札幌のラーメン事情は様変わりしていた。

17歳、小僧の頃からラーメンのつくり手であり、ラーメンが好きであちこち食べ歩いていた内海さん。まるで素人のつくったようなラーメンがもてはやされるのに疑問を覚えた。夢破れた青年は、愛すべき札幌のラーメンが、絶対のものでなければ許せなかった。

帰郷から半年後、彼は意を決して店を出す。わずかな資金で居抜きの物件を見つけ97年6月「南7条店」をオープン。万人受けする味を目指した結果、特徴に乏しいラーメンとなり、客足は伸びない。

開店景気が引いたのち、来店数が日に20人ほどの状況がしばらく続く。半年くらいするともう、店を畳もうかと考え始めた。しかし、納得がいかない。

「延べ13軒、あんなにたくさんのラーメン屋で働いて、それ以外でも散々食べてきたのに……」

「舌には自信があるのに、なぜ自分のベストの味を出せない?」

自問自答のあげく、ラーメンの味を変えようと思った。

「夢中にさせるラーメン」がポリシー

「どうせ店を畳むくらいなら、最後に自分の味で勝負しよう」

そうやって生れたのが、現在『らーめん てつや』で出しているラーメンの原型だ。黄色く縮れた太いをかために茹でて、背脂を散らした濃厚ラーメン

事態はすぐに好転した。口コミで評判となり、常連さんも付いてきた。息つく間もなく、無言でラーメンを食べてくださる様子を見ていると、本当に幸せな気持ちで満たされた。

「有名になりたい」「稼ぎたい」と志した役者の道を離れて1年後、ようやく彼は、人様によろこんでいただくことの充足感を得た。

2軒目の出店は、創業から2年後。以降、1軒ずつ着実に増やしている。

「どん底を知らずに現状を築いたら、天狗になって駄目にしたでしょうね」

と自分を振り返る。「夢中にさせるラーメン」がラーメンづくりのポリシー。正油・味噌・辛味、最後まで一気に食べてもらえるラーメンが『らーめん てつや』の真髄だ。

札幌に生まれ育ち、札幌を離れ、札幌に還ったひとりの男は、何を夢見るのか? 愛するふるさとが、彼に教えてくれた喜び。東京への出店は8年前の自分に決着をつける3度目の挑戦だ。

別ブランドのラーメン店、和食ダイニング、チャイニーズ・バー、構想は拡がっていく。男36歳、これからの動きに注目したい。



らーめん てつや
住所:札幌市中央区南7条西12-2-19
TEL:011-563-0005

内海 てつやさん

有限会社 テツプロジェクト
社長
内海 てつやさん
UTSUMI TETSUYA

1969年、北海道札幌市に生れる。高校に2年通い、以降は通信教育で卒業。並行してラーメン店に勤務。20歳で役者を志し上京するが、半年で帰郷。再度 1年後に上京し、役者の道に再挑戦する。27歳帰郷、半年後に『らーめん てつや』をオープンする。現在札幌市内に6店舗、本年中に東京出店の計画も。