ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.56 朱華園

ご当地ラーメンのひとつに「尾道ラーメン」がある。しかし『朱華園(しゅうかえん)』のラーメンは第1次ラーメンブームにより誕生した「尾道ラーメン」とは出自が異なる。ご当地ラーメン尾道ラーメンなる言葉が使われ出す前から尾道に店を構え、地元民のみならずラーメンファンを喜ばせ続けてきた『朱華園』のラーメン。新幹線と列車を乗り継いで尾道へ、2代目店主の檀上俊博さんを訪ねた。

朱華園』は壇上さんの父、台湾出身の朱阿俊(しゅうあしゅん)さんが、昭和22年に尾道で屋台営業からスタートした。店を構えてからも地元の人から「朱さんの店」と呼ばれたため、壇上さんは店名を『朱華園』とすることを父に提案。以降、店は『朱華園』の看板を掲げたが、未だ「朱さんの店」と呼ぶ人が少なくない。

例えば尾道駅を出て左に歩き続け、出会ったおばあちゃんに「朱華園は、まだ先ですか?」と訊ねると「朱さんの店は商店街をずーっと行って、2つ目の筋を右に曲がって……」と、まるで親戚の家を教えるくらい丁寧に説明してくれる。「朱さんのラーメンが好きで尾道のシンボルとして誇りに思っている」、そんな印象すら受けた。

かつて「朱華園の醤油味のラーメンは、市民ラーメンの座を獲得している」と言った人がいたが、なかなか的を射た発言だと思う。

土日祝日にはガイドブックを手にした観光客が列を成す。平日でも地元民に混じって観光客らしき人が楽しそうに並んでいる。壇上さんは「外にどれだけの人が待ってくださっているのか、とても気になる。お待たせするのが心苦しい」のだとか。

年配の店員さんが接客係で、壇上さんは厨房の奥。店は品格ある食堂のような雰囲気で、家族連れやカップルの姿も見受けられる。

「30年やっても不安ですよ、小心者ですから」

中華そば、1杯490円。醤油味のスープに背油の粒が乗る。平打ちのなめらかなは、スープを伴いスルスルと食べやすい。ひとくち目、きりりと立った醤油の香りは、食べ進むうちにだんだんと丸みを帯びて感じられる。

「麺は加水率33%前後で、コシを持たせています。スープがまろやかになるのはのデンプン効果。釜揚げうどんをイメージしたんだよね」

壇上さんが父の店である朱華園に入ったのは1974年、24歳の時だった。神戸の大学で法学を学び、東京の大学院に進み就職することも考えていたが、体調を損ねた父を助けるため帰郷。

中華そばのつくり方、餃子の焼き方、麺打ち、父から教わったことは1つもない。突然「どうしたらうまくできるか?」ある種、データ魔の壇上さんはその都度、精密に数値化して記録をとり、確実にうまくいくあんばいを測るのだ。

「父の味に近づきたい」と考え、様々な分析を重ね、1度は父親の仕事を否定して自分なりのやり方を一から積み上げることもした。

「父親の味のルーツを探るため、北台や台中をほっつき歩きましたよ。塩味の効いた薄い醤油、小麦文化と米文化の違い……、おもしろかったですね」。

今年創業60年を迎える朱華園。父との比較も乗り越えて30年以上店に立ち、今朝も仕込みから中華そばに挑む壇上さん。

「30年やっても不安ですよ、小心者ですから。毎日食べに来られるお客さんもいます。クリーンな店で丁寧な仕事をして、何事もなくシンプルに1日を終えら れたらそれでいいと思うんです。厨房では自然体でいられるし、今日はここを楽しもうとマニアックにおもしろがりながらやっています」

と話すその手は、左右とも極端に変形し「職人」を物語る。丼を持つ左手は人差し指、中指、薬指が斜めに曲がり、麺あげをする右手は中指の先端が膨れている。右手首の包帯は平ザルの柄が当たる感覚がサポーターでは鈍いからだとか。

「シンクロでいいと思うんです。水の中では一生懸命もがいていても、人目にふれる水上の姿は優雅でしょう。僕もそんな仕事ぶりに憧れます」

潮風と文学と坂道と……尾道という土地で育まれた朱華園中華そばは、これからもこの土地の人に愛され、全国のラーメンファンと観光客を存分に楽しませてくれることだろう。



朱華園
住所:広島県尾道市十四日元町4-12
TEL:0848-37-2077
定休日:木曜,第3水曜
営業時間:11:00~20:00

壇上 俊博さん

朱華園
店主
壇上 俊博さん
DANJYO TOSHIHIRO

1950年、台湾出身の父と日本人の母の間に尾道市で生れる。神戸学院大学・大学院修了後に家業に入り、父共に『朱華園』に立つ日々を送った。父亡き後は壇上さんが店を、妹が製麺を仕切り、今日では福山市にも2軒の支店を構える。