ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.57 ふくちゃんラーメン

福岡市早良区、地下鉄七隈線の賀茂駅から5分ほど歩くと、そこに「ふくちゃんラーメン」はある。郊外のわかりにくい立地にも関わらず、店の前にはいつもたくさんの人が楽しそうに順番を待つ。のれんを1歩くぐるや、「あぁ、とんこつラーメン!」の世界が始まる。


32歳の若き店主、榊伸一郎さんは「ふくちゃんラーメン」の3代目を受け継いで、今日もまた厨房に立つ。父である順伸さんが病に倒れたのは、取材に訪れた日のちょうど4年前のことだった。

「店を開けて、あなたがやって」姉たちに促されるまま、父の定位置であるカウンター向かいの右奥で麺を上げ、ラーメンをつくった。その日から父の守備位置はそのまま伸一郎さんのポジションとなった。

「店を継いでくれと言われたことはないんです。姉たちは小遣い稼ぎに店を手伝っていましたが、自分が店に出るようになったのは高校を卒業してからです。最初は父の横に立ち、補助的なことを手伝いながら、賄い用のラーメンをつくらせてもらったりしていました」。

シャッシャッシャ、タッタッタ・タ、湯切りの音。インタビューの間も、伸一郎さんは定位置を離れない。お客さまが入るたび、「いらっしゃいませ」と声をかけ、オーダーを聴いて麺あげをする。

カタ麺、チャーシュー麺、ワンタン麺替玉、注文を聴き分けながら、今日もベストを茹で上げる。

「父もそうでしたが、店が開いている間はずっとココに立ち、持ち場を離れることはありません。どのお客さんにも自分がつくったものを食べてもらう。そうでないと安心できないんです」

父と同じ味を出すには創意工夫が必要

20席の店内には、満足気にとんこつラーメンを食べる人たち。半数以上が常連で「何年も通っているよ」「今日のラーメンもおいしいね」という表情を浮かべている。父の隣で10年、父と代わって4年、伸一郎さんはカウンターの向こうから、この情景を見てきた。そして

「お客さんに、父のラーメンと同じ味と思ってもらえるには、あと一工夫が必要でした。それでやっと同じ評価がいただけます」

と、常に「あと一工夫」を追求する。

4本の寸胴鍋を使って継ぎ足し、継ぎ足しでつくるスープは、豚骨の部分や量、基ダシの配合など様々な要素が組み合わさって、今日の味となる。お天気や気温、火の温度加減によって全く別物になってしまうデリケートなスープを、いつ訪れても最良の状態で出せるように気を配る。だから、安易に人任せにできない。

中太ストレート(全国的には中細サイズ)、加水率低めのはたっぷりの青ネギと極上のとんこつスープをまとい、口の中にスルスルと入る。とんこつラーメンの本場で味わう30年以上の歴史あるラーメン。コクと切れのあるとんこつスープほんのり醤油の香り。

「今でも父が後ろから麺あげの具合を見張っているような気がするんです」

父が世半世紀かけて頑張ってくれたおかげで、新横浜ラーメン博物館に出店し(2番目のお姉さんが店長)、博多駅前4丁目にもう1軒の店ができた(長女夫婦が営む)。

父から受け継いだのは、とんこつスープの味と実直さ、そして本店の暖簾の重さ。毎日訪れる厳しいお客さまに見張られながら、気を張って麺あげをする榊さんだ。



ふくちゃんラーメン
住所:福岡市早良区田隈2-24-2
TEL:092-863-5355
定休日:火曜
営業時間:11:00~21:00

榊 伸一郎さん

ふくちゃんラーメン
店主
榊 伸一郎さん
SAKAKI SHINICHIRO

1974年、福岡市で3人姉弟の末っ子に生れる。6歳の頃、両親が「ふくちゃんラーメン」を継ぎラーメン屋となる。高校卒業時より手伝い始め、4年前に父が倒れた日から店を守る立場となる。