ラーメン職人の熱いストーリー ラーメン 東へ西へ

ラーメン東へ西へ No.68 冨ちゃんラーメン 中冨創さん

「冨ちゃんラーメン」の味を一言で表現すると「実直」だ。幼少期から親しんだラーメンの味を理想とした一杯は、真っ直ぐな中冨創さんそのままである。福岡の人気店「ふくちゃんラーメン」での修行を経て、今も自分の味を追求し続ける中冨さんの人生にスポットをあてる。

真っ直ぐで真面目なラーメン

厨房に据えられた2つのスープ釜の側を、「冨ちゃんラーメン」の店主・中冨さんは片時も離れない。夏場はシャツが張り付くほど汗だくになるし、お客にも釜からの熱気が届いてしまう。それでも常に目が届く位置に釜を置くのは、強火で炊き込むために、わずか数分で味が変化するからだ。
ラーメンのトッピングはチャーシューとネギのみ。シンプルだからこそごまかしが効かない。臭みはなく、一口食べると豚骨の豊かなコクが広がる。「これこそ博多のラーメン」と思わせる一杯である。
営業の合間をぬって味噌や醤油を取り入れたラーメンも研究した。すでにメニューとして出せるほどのクオリティになったが、自分が惚れ込んだ豚骨一本で勝負したいという気持ちのほうが勝る。店休日には翌日の仕込みに精を出す。

冨ちゃんラーメン

「四六時中、ラーメンのことを考えている、と言えば格好いいですが、ただ、お客さまに美味いものを食べさせたいだけなんですよ」

理想の味との出会い

中冨さんが目指すのは、「ふくちゃんラーメン」の一杯だ。出会いは中学生の頃にさかのぼる。地元で一番の大食いで鳴らしていた中冨さんが足しげく通ったのが、まだ福岡市・西新に店を構えていた「ふくちゃんラーメン」だった。その頃、店内には「大食いチャンピオン」と書かれた紙が貼り出され、月ごとに“胃袋”に覚えのある猛者たちが挑戦した。

「まさに替え玉デスマッチでしたね(笑)。それはもう、壮絶でしたよ」

中冨さんの最高記録は替え玉8回。見事、その月のチャンピオンに輝いた。はじめは安くてお腹いっぱいになるという理由で通っていたが、だんだんとその美味さにハマッていった。

中冨創さん

条件が同じでも同じ味が出せない

ラーメンの道に進むまで、中冨さんは飲食とは無縁の仕事に就いていた。高校卒業後、測量士になった。体を使って働くのは楽しかったが、1mmでもずれると何百万円という損害が出る緻密な測量の仕事が好きになれなかった。
次に就職した書店では店長を任された。やりがいを感じたが、上級職に昇進するための勉強がどうしても性に合わなかった。
くすぶっていた時に転機は訪れた。「ふくちゃんラーメン」の大将から店を手伝ってほしいと頼まれたのである。聞けば、大将の奥さんが体調を崩してしまったという

「その場で快諾しました。大好きなふくちゃんの味を自分で作れるようになると思っただけで胸が高鳴って……。奥さんの体調が回復するまでにラーメン作りを覚え、自分でラーメン店をやってみようと思いました」

厨房の中はカウンターから見るよりずっとハードだった。最初は食器洗いを習った。しばらくすると今は亡き初代・榊順伸さんの傍らに立ち、ラーメン作りを一から学んだ。調理経験がほとんどなかったため、見るもの、知るもの全てが新鮮だった。調理の流れを覚えると、スープの仕込みを教えてもらった。同時にまかないのラーメンを作らせてもらえるようになったが、理想にはほど遠い。

冨ちゃんラーメン

「同じ材料、同じ道具を使い、同じように作っているはずなのに、親父さんが作る一杯とはまるで別物。ラーメンの奥深さを思い知らされました」

2年の修行を終えて独立。福岡市・樋井川に店を構えた。今では近隣の住人から県内外のラーメンフリークまで、幅広い層から愛される人気店だ。しかし、開業から12年経つ今でも、中冨さんは「修行中だ」と言う。

「2年で分かったつもりだったのに、12年経った今の方がラーメンが分からない。高みを目指してやればやるほど、正解が遠退いていく感覚になります。目標ですか? いつの日か親父さんの味を超えたいですね」

(取材・撮影・執筆・編集/力の源通信編集部)


冨ちゃんラーメン
住所:福岡県福岡市城南区樋井川6-7-12
TEL:092-865-7231
定休日:火曜
営業時間:11:30~21:00

冨ちゃんラーメン

冨ちゃんラーメン

冨ちゃんラーメン・中冨 創


冨ちゃんラーメン
中冨 創
(なかとみ・つくる)

昭和42年4月、福岡市・早良区百道で生まれる。釣りが趣味だったが、店休日も仕込みがあるため、現在は自宅の釣り竿を眺めるのみ。好みのラーメンは昔ながらの豚骨ラーメンで、修業先の『ふくちゃんラーメン』にも初心を思い出す意味でも定期的に通っている。大食いは今も健在で、店で毎日食べるまかないのラーメンにも替え玉は欠かさない。