1952年、熊本県・玉名に旨いラーメンがあると聞き、熊本市内から3人の若者が旅立った。訪れたのは福岡県・久留米に本店を構えていた「三九」の支店である。3人は生まれてはじめて食べる白く濁ったスープの豚骨ラーメンに可能性を見いだす。そのうちの一人、山中安敏さんは1954年、「こむらさき」を創業し、熊本ラーメンの元祖といわれる店に育て上げた。現在、その魂は、息子である山中禅さんが作るラーメンに息づいている。
現場にこそ、時代の空気が流れる
「こむらさき」のラーメンは美しい。スープは透き通るような真珠色で澱みがなく、臭みもない。まろやかでコクがあり、心地よい余韻が残る。中細ストレート麺は滑らかで、唇に心地よい。ニンニクチップのパンチも効いている。スープ、麺、具が織りなす“三位一体”の味こそ、禅さんが守る熊本ラーメンの正統だ。
「先代はとても太っ腹でした。頼まれるとラーメンの作り方まで誰にでも快く教えた。結果、こむらさきの味が熊本に広がり、今日の熊本ラーメンの源流と言われるようになったんです」
禅さんは代表取締役となった現在もできる限り厨房に立つように心がけている。次々とできあがっていくラーメンは、1時間に120杯ペース。素早く麺があげられるようにザルを真っ平らにするなど、オペレーションは日々改善してきた。
「席に座ってすぐに食べられるのが本来のラーメン。そのために何十時間もの準備がある。仕上げの調理は時間にすればわずか2、3分ですが、地道な努力の結晶です。だからこそ1秒たりとも無駄にはできない」
何事も先手必勝で挑む
禅さんは「攻め」の人である。熊本随一の人気店の暖簾を守る2代目という身でありながら、常に時代を先読みし、勝負してきた。禅さんが「こむらさき」で働くようになったのは26歳の時。東京で会社勤めをしていたが、創業以来の売上不振を挽回すべく、実家に呼び戻された。
「地元の地域振興組合に参加し、全国の商店街を見て回りました。地方ごとで異なる商売のやり方を目に焼き付け、自分の店に足りないものが何かを必死になって考える毎日でした」
当時のメニューはラーメン、具だくさんの王様ラーメン、おにぎりのみ。周りを見渡せば、洋食をはじめ、多様な飲食店が次々とオープンしている。開業時に比べ、ライバルが続々と増えていた。まず手掛けたのがサイドメニューの強化だ。また、新たに加えた商品はお客の反応を見ながら、少しずつブラッシュアップしていった。
「これからは女性の心を掴まなければ生き残れない、と考え、たとえば、餃子にはニンニクをたっぷり入れていましたが、昼から気軽に食べてもらえるように量を徐々に減らしていきました」
そうした地道な努力が実り、店は少しずつ活気を取り戻していった。1979年に熊本一のメインストリート・上通りに支店を出してからも勢いは止まらず、売上は順調に推移した。94年に開業した「新横浜ラーメン博物館」への出店でその名はたちまち全国区となった。大手コンビニエンスストアとタイアップしてカップ麺を開発したこともあった。20〜30万食売れば上出来だと言われる中、最高記録となる200万食を売り切る。インターネットへの対応も早い。2000年には、全国のラーメン店の中でもいち早くオンラインショッピングが楽しめるようになった。
「どれも熊本ラーメンの存在をより多くの人に知ってほしい、という思いから始めたことです。やると決めたら、誰よりも先にやる。それも『こむらさき』の伝統です」
熊本ならではの味を守り続ける
今まで何度もフランチャイズの打診があったが、直営店のみの経営を貫く。心には一つの思いがあった。
「ご当地の味は、現地で楽しむのが一番。どこででも食べられることにメリットを感じない。熊本ラーメンという看板を背負っている以上、地元の味という感覚をいつまでも大切にしたい」
禅さんの原点だという額にはこう書かれていた。
小さな店であることを恥じることはないよ そのあなたの小さな店に人の心に 優しさを一杯に満たそうよ
住所:熊本県熊本市上林町3-32
TEL:096-352-8070
定休日:火曜(祝日の場合は翌日)
営業:11:00〜19:30
こむらさき
山中 禅
(やまなか・しずか)
「熊本ラーメン株式会社」代表取締役。昭和27年10月、熊本県・熊本市で山中家の長男として生まれる。趣味はアコースティック音楽のジャンルの一つ、ブルーグラスの演奏。山中さんはギターとリードボーカルを担当する。古美術の鑑賞も楽しみの一つ。東京に出掛けた際は美術館巡りを満喫している。